里山日記

NPO法人「里山を守る会」における活動の内容。
その日にあった様々な出会いと、感じたことをつづりたい。

わんぱく自然塾 卒塾式

2018-02-22 05:18:24 | Weblog

2月18日(日) 第5期(平成29年度)わんぱく自然塾の卒塾式を迎えた。 卒塾生は30名であるがインフルエンザ、発表会等の重複で26名の参加となった。

 最後の受付

 全員集合!

記念植樹(イロハモミジ)の掘り起こし、移動、定植。記念プレート書き込み、ドラム缶ピザづくり、卒塾証書の授与が執り行われた。市内12校、市外1校の小学生(4年生~6年生)が1年間(全6回)様々な自然体験プログラムを共有した。

(植樹用の苗木を掘りにリヤカーで現場に向かう)

掘り出した苗木を積み定植場に(リヤカーを引くのが好きだ)苗木のほかに人間も積んでいる。

 掘り起こし

  くい打ち

年齢も学校も違う子供たちが一堂に会し、「自然の中で群れて遊ぶ」ことを実践している。 13校中たった一人で参加している児童は8名もいる。スタート当初(25年度)参加学校は8校で参加人数も23名であった。 当会の知名度も低く、市内20校ある全小学生を対象にした自然体験、しかも1年間を通じた自然塾というものは過去になかった。

 自分で生地にトッピング

 ドラム缶ピザを焼く

 各自記念プレートに名前を記入

 2本の記念樹にプレート設置

 

(風が強くなったので囲炉裏がある五郎助庵にて卒塾証書の授与を行った。)

担当者と全校を廻り、チラシと趣意書を配布し、ぜひ子供たちに参加してくれるようお願いした。回を重ねるほどに学校側の反応も良好となり、参加者の数も増え、ここ1,2年は募集開始、数日で定員(30名)に達するようになった。3年連続で参加した児童には「里山名人」の称号が贈られ、中学生になっても後輩のサポーターとしてわんぱく塾に参加できる。今年も2名にその称号が贈られた。来年度は9名の候補者がいる。

 

参加者にとって、初めての五郎助山。そして初対面の友達。しかも1年間。すべてが初めての体験で初日は顔が引きつり、緊張の連続だったと思う。しかし、次第にその緊張も解け、先輩(班長)の指導に従い、仲間と溶け合い、様々なゲームや体験を重ねて、その絆を深めてゆく。

この体験が参加者の心にどのように残り、どのように反映されるのかはっきりとしたことは正直わからない。しかし、新しい友達が出来、家族以外の見知らぬおじさん、おばさんと言葉を交わし、自然の中で共に過ごした時間は決して無駄ではないと確信している。

来年度に向け、新しいスタッフの顔ぶれも整いつつある。 子供たちの輝くような笑顔を見たとき、この塾は里山とともに永久に継続したいと思った。 

 

 


JTB筑西市モニターツアー

2018-02-12 06:25:08 | Weblog

1/27日(土) JTB主催・筑西市モニターツアーのご一行が五郎助山で約1時間、焼き芋体験。 この日、五郎助山は22日に降った雪がまだ多く残り、焼き芋ができるまでの間、皆さんを森の中にご案内する予定であったが、それはかなわず、五郎助庵で焼きたての芋と熱いお茶をふるまった。

この日、私は参加することが出来ず、関根副理事長に”おもてなし”のすべてをお願いした。 私が筑西市観光資源発掘協議会の一員ということはすでにお話ししたが、第1回目が平成28年9月に第1回が開催され、今年で2年目(第10回)に入った。いよいよアクションプランを実行する段階となり、今回のツアーが実現した。対象は埼玉県民。

午前8:00(現地出発)=午前10:00(下館駅着)~12:00(市内散策)12:00(昼食・荒為)=13:00~14:30(酒蔵見学・来福酒造)=15:00(五郎助山・焼き芋)~16::00=埼玉へ

当日は予定より少し早くバスは着いた。ツアー客41名。協議会メンバーでもあるJTBの添乗員1名である。他に市観光課2名。ツアー客はほとんど60代以上で、6割が女性ということだった。

関根理事、中山理事が駐車場までお出迎えし、五郎助庵(徒歩5分)まで雪が残る里道をご案内した。 たき火を熾し、熱いお茶でまずはおもてなし。 残雪の里山の風景を皆さんはどう感じたのだろう? ほどなくアツアツの焼き芋が皆さんの待つテーブルに運ばれてきた。”お土産に”と 思う方もいらしたようだが、「ぜひ熱いうちに」という里山スタッフの勧めでふうふう言いながら「紅はるか」をゆっくりご賞味いただいた。皆さん、その甘さに驚き、「焼き芋は熱いうちに」に納得・満足のご様子だったという。

里山名水で沸かした熱いお茶もまた好評だったという。

あっという間の里山滞在であったが、「今度は孫を連れて来てみたい。」とスタッフに話された方もいたという。熱烈歓迎したい。 駐車場の反対側に地元農家で運営するアグリショップがあるが、帰り際、ツアーの皆さんが立ち寄り、ほとんどの野菜類が店頭から消えてしまったという。折からの野菜高騰でツアー客には宝物に映ったのかもしれない。

思いがけない特需にアグリショップの店員さんはびっくり。こんなところにも観光資源としての里山は思わぬ効果を生み出すかもしれない。

2/13日に開催される今年3回目の協議会でこのツアーに参加された方々のアンケートの結果が公表される。その内容を精査し、今後の「おもてなし」に活用したい。

ツアー客の皆さん(写真・佐藤事務局長より借用)

 アツアツの芋をほうばる。

 焼き芋の現場にご案内

 

 


スリーファミリーズ旅行会 パート2

2018-02-04 06:43:11 | Weblog

1/23日 クアランプールには現地時間で午前8:30分に着いた。日本から約6時間のフライトである。当初6:45分着の予定であったが出発が2時間遅れたので仕方ない。日本との時差はちょうど1時間である。気温は30度。零下の世界から突然温室に入ったような蒸し暑さに驚く。

空港は想像以上に広く、到着後、空港内にあるエアロトレイン(空港内移動列車)で空港ビル(コンタクト・ピア)に移動し、入国審査を受ける。パスポートを差し出し、帽子を脱ぎ、両手人差し指の指紋認証を受け、審査を終えた。

現地ガイドが待つ出口に向かい、「JTB旅物語」のプラカードを持つガイドを探す。「いました。」彼の周りにはすでに同じツアーの仲間が集まり私たちを待っていた。ガイドは、ちょっと小太りで、リッキーさんという50代の中国系の男性だ。日本にも何度か来ており、国家認定を受けたガイドであると自己紹介をした。日本語もとてもうまい。 ツアー客は14名。いずれもご夫婦で60代が大半で70代は2組である。40人乗りの大型バスで初めて言葉を交わし、ゆるゆるの席でゆったりとしたツアーとなった。

午前中はクアランプール市内の観光とショッピングである。まず王宮に行き、その後国家記念碑、国立モスク、独立広場へと進んだ。

 ガイドのリッキーさん

 王宮前で

 独立記念碑

国民の65%が回教徒ということでイスラム教の衣装を身に着けた方が目立つ。そのほかに仏教徒、ヒンズー教徒、キリスト教徒と多くの宗派の方が混在しながら生活をしている。インド人と思われる人も多くみられた。昼食の後、いよいよ本日の宿泊先のペナン島に向け6時間のバスの旅である。

 途中、スコールに会う

 ドライブインの果物

 南国らしくフルーツが豊富

クアラルンプールからペナン島までは350kmある。バスの中、疲れが出て、ほとんどの方が爆睡していた。ペナン島に続く橋に差し掛かったころスコールの音で目が覚めた。どんよりと曇る海の上をバスは進んでいた。橋は驚くほど長く、リッキーさんによると全長24kmあり、東南アジア最長で中国の援助を受けて2014年に完成したという。

 ペナン橋・マラッカ海峡(車窓から)

ホテルには予定より2時間遅れで到着。夕食は海鮮料理だった。


スリーファミリーズ旅行会

2018-02-02 07:23:00 | Weblog

同級生3組夫婦(スリーファミリーズ旅行会)で1/22日~1/27日までマレーシアに行ってきた。この旅行会は15年目に入る。仕事柄年1回、農閑期のこの時期を旅行日と決めている。

旦那同士が小学校から高校まで同級で自営業(農業)という関係で深いつながりを持つ。それぞれが結婚、子持ち、孫持ち となり、有難いことに、全員似たような家庭環境となっている。

 旦那同士は仲良くても、奥さん同士の中はそうはいかないというケースもあり、長く続かないという話もあるが、幸いこのグループは夫婦ともにうまくいっている。お互い、必要以上に干渉せず、それぞれの立場を尊重していることがその秘訣かも知れない。

1/22日は関東地方も朝から記録的な大雪となり、羽田国際空港発 00:05分、マレーシア行き(ANA)の飛行機は果たして飛ぶのか?    不安を覚えながら予定を早め、午後3時に家を発った。空港に問い合わせをすると、今のところ欠航の便はないという。メンバーのワゴン車にそれぞれの旅行ケースを押し込み、6人が同じような不安を感じながらも一面の雪景色を横目に空港に向かった。

空港に続く高速は思いのほか雪は積もっておらず、私たちの心をいくぶん軽くしてくれた。空港近くの送迎会社に車を預け、国際空港出発口まで送ってもらった。出発ロビーで早速、ANA885便(クアランプール行き)の情報を確認したが欠航の表示はなかった。出発カウンターで、出国の手続きを済ませ、とりあえず夕飯を摂ることにした。

インバウンドによる海外からの旅行者と海外に向かう日本人で空港ロビーはごった返していた。半袖の人、ダウンジャケットを羽織った人、服装もいろいろである。私たちも冬服から、夏服に着替え、予定通り出発できることを祈った。 出国検査を済ませ、滑走路が見える出発ゲートに移動したが滑走路は意外に雪は少なく、行き先はわからないが滑走路を飛び立つ飛行機も目にしていた。 すでに同じゲートには多くの旅行者が待機し、一様に発着案内パネルを気にしていた。

23:00 ANAの担当者より、予定より1時間以上遅れるが出発できるとのアナウンスがあり、安堵した。結局、2時間遅れの02:05分真っ暗な空に向かって私たちを乗せANA885便は飛び立った。雪は完全に止んでいた。