里山日記

NPO法人「里山を守る会」における活動の内容。
その日にあった様々な出会いと、感じたことをつづりたい。

わんぱく自然塾(3回目)

2015-08-25 05:02:44 | Weblog

去る8月9日(日)今年3回目のわんぱく自然塾が予定通り開催された。

今回のメインテーマは「流しソーメンを体験しよう」である。自然に包まれて、里山名水を竹の樋に流し、冷たいソーメンを腹いっぱい食べること、その器、箸も自分で作ることである。

スタッフが用意した直径12センチ、長さ4メートルの立派な真竹をナタで裏(先の方)から割り、ほぼ均一に2つ割りが出来た。

節を取り、水の流れを良くし、トンボ池のふちに設置した。

その間、子供たちは自分で使う容器と箸づくりに夢中だ。樋で使う竹の残りをそれぞれ節のところでノコギリを使い切り落とす。初めてのノコギリ、「いいか、引くときに力を入れるんだよ。」「最初は優しく、ゆっくり引くんだ。」おぼつかない恰好ながら、次第にコツをつかみ、上手に切れた。切り口を紙やすりで削り、内側をナイフで削った。こうすると口当たりも滑らかで、立派な竹の汁受けが完成した。

次は箸づくりだ。ナタを使い竹を細く、割って行く。新品のナタなので刃も鋭く、使い方を間違えると怪我をするが、正しい使い方を教え、受け手に軍手をはめ、慎重に割って行く。面白いようにまっすぐ割れて、子供たちは、はまってしまう。次に細く割った竹を、自分好みで更に形を整える。ナイフの出番だ。膝の上に小刀を固定し、竹を引くと安全に平らに削れることを実演して見せる。

竹の角をゆっくり削り、次第に丸くなる行程を繰り返す。一心不乱にその作業に没頭する子供たち。

今年3回目となる、女の子はとてもうまい。

約1時間の工作の時間が過ぎ、思い思いのマイ器、マイ箸が出来上がった。それを持っていよいよ流しそうめんだ。

   

昨年より、人数は少ないが油断は禁物。想像以上の食欲で、ソーメン係の女性スタッフはいつもハラハラさせられるからだ。天ぷら、つけ汁、薬味も十分に用意され、料亭顔負けのソーメン流しとなった。

自然の中で食べる「流しソーメン」は普段の倍以上に食欲をかきたてる。競争原理も働くのか、あっという間にひとざるが胃袋に消えた。

次々に茹でたソーメンが運ばれてくる。涼しげにソーメンをすする子供たちをしり目にスタッフは大忙しである。

         

食べる顔はなんとも幸せな笑顔である。

    

子供たちのお腹が膨れたら、今度はスタッフの番である。子供たちがソーメンを流してくれた。

 

お天気で絶好の流しソーメン日和だった。

森の中に戻り、木にシールを張り、思い思いの顔を作り出した。

   

次回は「里山フェステバル」が10月11日に予定されているため10月18日となった。木工体験、秋の植物観察が予定されている。

 

 

 


暑気払い  新盆参り

2015-08-15 17:03:54 | Weblog

8月8日(土) 定例作業日であるが、10:30分に終了し、11:00から暑気払いを行った。今まで8月はお盆の月なので作業はお休みだったが、面積が増え、キャンプの後片付けも残っていたので、暑気払いを兼ねて行った。

約25名が参加し、作業は予定通り10:30分に切り上げ、炭部会が作った自慢の炭をおこし、牛肉、海産物、野菜、ウィンナーのバーべキューとなった。〆は焼きそばである。お酒も充分に用意し、年に一度の盛大な暑気払いとなった。

7/29,30日のキャンプの反省、23日に予定されているどすこいペアーについても意見が出され、次年度の参考になったと思う。

今年度19名の里山名人が誕生したが、全員が来年、後輩のサポートに参加すると、それだけで4張りのテントが必要となる。嬉しいことであるが、新たな悩みが増えた。また、2泊3日の要望もあり、そのためにはスタッフの確保の問題もある。

課題が次々に現れるが、前進している証と前向きにとらえている。

8/14日、本年5月に急逝された 故 山下 高夫 前副理事長宅に理事、会員12名が新盆参りに伺った。祭壇には笑顔の山下さんが飾られ、我々を迎えてくれた。今でも信じられない思いである。その辺から笑顔の山下さんが現れるのではないかと、錯覚を覚えた。

幸い、ご家族も笑顔を取り戻され、前向きに日々過ごされておられるようで、安堵した。

改めて、この活動の永久の継続を誓った。  でもやっぱり寂しい・・・

 


第6回里山キャンプ無事終了

2015-08-06 04:33:30 | Weblog

7月29日、30日(1泊二日)開催の第6回里山キャンプが無事終了した。過去最多の61名の小学生とスタッフ20名、中学生8名(里山名人)総勢90名の大掛かりなキャンプとなった。

今回、実施責任者を務めてくれた宮本さんには準備の段階から実施まで大変なご苦労をかけた。宮本さんはボーイスカウトの隊員、隊長を経験し、長期キャンプの経験も豊富であり、その経験を活かし、新しい切り口のキャンプをお願いした。

6年生の参加者の中で4年生から3年連続参加者が19人いるというのも今年のキャンプの特徴である。この中から各班長を選んだ。

スタッフは出来るだけ口出ししないという方針だったが1年振りということでテント設営にも手間取り、ついついスタッフが先導してしまう。

じぃ~っと見守るというのは至難の業である。また、今回多数の参加者のため、それぞれのテントで、ポリタンクを用意し、調理器具の洗浄を行い、地面に穴を掘り、残飯、汚水を自然界に戻し、浄化する方法を取り入れた。

9:00 受付開始、保護者に付き添われ、続々と子供たちが到着。

9:20分 入所の集いが始まる。初めに、二日間の安全と健康を里山の神に全員で祈願し、参加者代表(男・女)が元気にキャンプ開始の宣誓をした。

 里山神社

        

西小の武井校長もお忙しい中、子供たちの激励に駆け付けてくれた。また、里山担当の橋先生も昨年同様、二日間、ご一緒してくれることになっている。(学校側の配慮でとてもありがたい)

全員での記念撮影をし、テント・タープ・キャンプ七つ道具の受け渡しが始まった。約1時間かけて15張りのテント村が五郎助山に出現した。

   

設営が終了した班は自由行動である。魚釣り、ターザンロープ、ハンモックと自由に遊ぶ。 お昼は各自お弁当である。

13:00 午後一番に二日間の炊事の火種を作る火おこしが始まった。

中山じいが用意してくれた火おこし道具を使い、まず、麻縄をほどき、ふかふかした鳥の巣のような火種の受け皿を共同で作る。

いよいよ杉板に回転棒を取り付け、上下に往復しながら杉板をこすって行く。しばらくすると焦げ臭い臭いが漂い、煙が出始め、さらに回転を続けると火種が火種受けの葉っぱに落ちる。それをそっーと鳥の巣のような麻の袋に入れ、息を吹きかけると煙が上がる。更に鳥の巣を持ち、ぐるぐると勢いよく回すとパッと火が着いた。

  

「オーッ!」という歓声が上がった。 本当に木と木の摩擦で火が着くことを毎回感動する。これが二日間の種火となるのである。

種火ができた班は自由である。

15:00 吹具・食器類の受け渡し

16:00 いよいよ夕食の準備に取り掛かる。炊事係、かまど係は薪置き場から薪を運び、夕食の食料品をスタッフより受け取る。

 残飯、汚水は 自然に浄化してもらう

夕飯は定番のカレーである。女子のテントは手際がいい。整理整頓もなされ、テーブル周りもきれいである。一方、男子テントに行くと切った玉ねぎが散乱し、ニンジンの皮もそのまんまといった班も多かった。中には水を入れずに飯盒を火にかけたという班もいたとか・・・

 

それでもスタッフの応援を得てなんとか夕食には間にあったようである。(やれやれ)

18:00 キャンプファイヤーの準備も進行中である。私は今回も火の神を仰せつかり、火の精、火の子を伴い、現場で束の間のリハーサルを行った。ちょっとしたセリフもあるのでこの時間は子供たちを安心させる。

19:00 キャンプファイヤー会場に移動 

全員が集合し、静に会場に移動した。保護者も見学はOKである。キャンプファイヤーを取り仕切るエールマスターは中学生が担当である。

19:30 「遠き山に火は落ちて」のメロディが流れてきた。火の精2名を伴い、会場外に待機していた私たちは火の神、火の精の衣裳を身にまとい、たいまつに火をつけ、皆の待つ会場にゆっくり歩き出した。

円を組んだ会場をゆっくり一周し、4人の火の子にそれぞれ「友情」「知恵」「希望」「感謝」の火を与える。その時火の子たちは短い誓いの言葉を唱えるのだが、リハーサルの効果もあって全員すらすらと言葉が出た。

  

武井校長もいつの間にか参加されていて、「イヤー良かったですね。」とお褒めの言葉を頂いた。

キャンプファイヤーは順調に進んでいたが、稲光と雷音が次第に大きくなってきた。万一のことを考え、残念であったが、早めに切り上げ、テント村に戻った。(子供たちは残念の様子だった)結局雷雲は遠ざかり雨は降らなかった。

 

21:00 自然博物館よりお借りしたナイトトラップが太田先生と樋山先生の手により設置され、昆虫が集まっている。初めて見る子は興味駸々である。

一方、ナイトハイクに参加する子は別の場所に集合し、約15人が参加した。私を先頭にいつものように夜の里山を探検した。怖いけど体験したいという子供の心理は昔と変わらない。途中で全ての懐中電灯を消し、漆黒の闇夜を味わった。

22:00 就寝

であるが、いつものように簡単には寝ない。 泊まりのスタッフは五郎助庵に集合し、軽く一杯やることになった。しかし、実施責任者の宮本さんは中央にある本部テントに寝袋を持ち込み一人待機した。

午前2:00 あまりにうるさいテントに「いつまで騒いでいる! 他の子供たちの迷惑も考えろ!」との一喝がとどろいた。

間もなく五郎助山に静寂が戻った。 ほどなくある班長から、仲間が一人いなくなったとの報告が宮本さんに届いた。本当に困った声だった。

私もこれは大変と起きだそうとしたら、ほどなく「・・班の班長が・・さんがいなくなったので心配しています。すぐに戻りなさい。」という声が聞こえてきた。2,3回繰り返すと果たして本人が別のテントから出てきて、自分のテントに戻り、事なきを得た。

後日、宮本さんは「子供たちはいつ体調を崩すかわからない。その時、本部テントに誰もいないというのは許されない。さらに全員お酒を飲んだら運転できないし、万一の対応ができない。それでは信頼して私たちに子供を預けた保護者に顔向けができない。」とおっしゃった。

返す言葉がなかった。

こうして1日目がようやく終わった。