師走。
今年も残り少なくなった。 今までになく慌ただしく、落ち着きのない一年。 といった気がする。
農業においては春の降霜・強風による梨の被害、そのため大幅な減収となった。又、合鴨米の出荷が原発による影響で、既存の購入者が関西方面の有
機米に変更する傾向が依然続いており、これもまた販売額が低下している。そのため今、独自の販路を模索中である。
「NPO法人里山を守る会」の事業量の増加に伴い、それに係る仕事が月の半分を超えることが多くなり、生業に集中できなかった。もとよリ覚悟の上で
あったが、改めて両立の厳しさを感じている。おそらく、この葛藤は退任するまで続くだろう。
マイナス要因が多くなると人の心は落ち込んでくる。そんな状況の中で明るいニュースもあった。長男の家族が来年、長女の小学校入学を機に家に戻る
ことになり、現在、敷地内に家屋を新築中で、新年は一気に賑やかになりそうである。
会員とそのお孫さんが里山で対面し、そんな時、いつもより張り切って活動している場面を幾度となく目にしているが、来年から自分がその立場に加入で
きる喜びを今からワクワクしながら想像している。
自分を取り巻く環境は常に刻々と変化し、まさに諸行無常の世界である。そのことに一喜一憂せず、己を失わず、高い目標に向かって行かなければなら
ない。 わかっているが、それがなかなか難しい。有難いことに1日がとても短く感じる。相当綿密に一日の計画を立てないと、ますます仕事がたまって
行くので、効率的な思考の訓練が始まっている。
不思議なことに里山に関する仕事というか労務に関して大変だという思いはあるが苦痛と感じることはなかったように思う。「里山の時は気合が違う。」と
妻が言う。 「同じくらい家のことも・・・・・・」と言葉は続く。
里山に関する事務は極力早朝に行っている。 それでも家族にとっては随分のめり込んでいると感じているようだ。
私たちの活動はそれを体験した子供たちにどう影響を与えるのか、明確に現象や答えは今のところわからない。 ただ、子供たちと里山のおじさん、
おばさんたちの距離が縮まり、学校側も里山で見せる児童の生き生きとした姿に、何かがあると感じていることは確かである。
そして子供たちが里山を身近な自分たちの居場所としてとらえ、無意識に自然を感じる場所となっていることは間違いない。
今の子供たちが大人になった時、里山での体験や私たちとの交流が心の片隅に残り、また里山に行ってみようと思い立ってもらえたらとてもうれしい。
また、14年間の活動を通じて、里山を媒体とし、様々な団体がつながり、その多面的な利用を図ることにより、地域の活性化にも繋がると信じている。
退職後の生きがいづくり、環境教育の場、癒しの場 等、その可能性は無限である。
大事なことはそのような無限の可能性を秘めたこのような場所を整備保全する重要性を、行政も、地域住民もそして地権者も共有することである。そのた
めの負担をそれぞれがそれぞれの立場で負う覚悟も必要である。
さて、来年も様々な葛藤の中で前進したい。設立の情熱と夢を失わずに。 必ず神(仏)のご加護があると信じて。