【FW】
李忠成 FC東京Y→FC東京→柏
元々はFC東京ユースの選手だったが、2年目に柏に移籍、移籍した年に8試合出場し、3年目J2の拍で主力FWとして31試合に出場し8得点を決め注目される。翌年もJ1で30試合10得点と継続して活躍し、日本国籍も取得。北京五輪代表に選出されエースと呼ばれるまでになる。五輪チームでは確かに活躍はしていたが、決定的な仕事という意味ではこれといったインパクトのあるシーンはあまり思い浮かばない。エースと呼ばれていたのも、「他に継続して活躍していた日本人FWがいなかったから」だと思っている。気持ちの強い個人的に好きなタイプの選手なので今後はA代表目指して頑張ってほしいと思う。
豊田陽平 星陵高→名古屋→山形
身体能力が高く器の大きな選手。名古屋では2年目に20試合出場し4得点上げているが、監督が代わった3年目は、ポストプレーが不得意なことで監督の構想外になり9試合と出場機会が激減し、翌年山形に移籍している。山形ではすぐにレギュラーを獲得ししばらく召集の無かった北京五輪代表にも復帰を果たし本大会メンバー入りを勝ち取った。長所はフィジカルの強さとスピード、課題はボールキープ力。身長があるためポストプレーヤーとの誤解を受けやすいが、最大の長所はスピード。その為、前線にいる彼にボールをわたすと、反転して裏を取ろうとする動きが目立つ。前線でボールが収まるポストプレーヤータイプではない。
岡崎慎司 滝川第二→清水
ゴン中山を尊敬し、(ゴンに)非常にタイプの似たFW。滝川第二の高校選手権の時から注目されていて、その時の雑誌に紹介されていた言葉は「常に3つの選択肢を持っている選手」つまりボールをもらった時にドリブルかパスかシュートか等々、常に3種類の選択肢がある選手という、少し珍しい紹介をされていた。プロ入り後、最初の2年は出番が無かったが、3年目にトップ下でレギュラーポディションをつかみ、チームが好調に順位を上げたことで、五輪代表チームにも召集されるようになる。得意なプレーはニアポストに飛び込むダイビングヘッドで、技術は無いが気持ちの入ったプレーは見ていて気持ちが良い。末永く清水で愛される選手になってほしい。
森本貴之 東京VY→東京V→カターニャ
中学生でJリーグデビューした怪物FW。中学2年時の東京VYの一員として出場したナイキプレミア杯(中学年代のサッカーチーム唯一の世界大会)でMVPを獲得している。また、この頃の試合で既に中学年代では飛びぬけた存在だった森本のいる東京Vジュニアユースの対戦相手の監督が立てた森本対策が「森本に3~4点取られるのは仕方が無いから、うちはそれ以上点を取って勝つ」という作戦が実際にあったらしい。05年に飛び級でワールドユースに出場し3試合後半途中から出場している。07年のU-20W杯は怪我のため出場を辞退している。06年(18歳)に海外移籍し、2年目には得点も挙げている。東京V時代は怪我のため活躍した機会が少なくあまり騒がれなかったが、実績だけ見たらこれまでの日本人選手の中でも飛びぬけている。今後どこまで伸びるのか期待したい選手。
李忠成 FC東京Y→FC東京→柏
元々はFC東京ユースの選手だったが、2年目に柏に移籍、移籍した年に8試合出場し、3年目J2の拍で主力FWとして31試合に出場し8得点を決め注目される。翌年もJ1で30試合10得点と継続して活躍し、日本国籍も取得。北京五輪代表に選出されエースと呼ばれるまでになる。五輪チームでは確かに活躍はしていたが、決定的な仕事という意味ではこれといったインパクトのあるシーンはあまり思い浮かばない。エースと呼ばれていたのも、「他に継続して活躍していた日本人FWがいなかったから」だと思っている。気持ちの強い個人的に好きなタイプの選手なので今後はA代表目指して頑張ってほしいと思う。
豊田陽平 星陵高→名古屋→山形
身体能力が高く器の大きな選手。名古屋では2年目に20試合出場し4得点上げているが、監督が代わった3年目は、ポストプレーが不得意なことで監督の構想外になり9試合と出場機会が激減し、翌年山形に移籍している。山形ではすぐにレギュラーを獲得ししばらく召集の無かった北京五輪代表にも復帰を果たし本大会メンバー入りを勝ち取った。長所はフィジカルの強さとスピード、課題はボールキープ力。身長があるためポストプレーヤーとの誤解を受けやすいが、最大の長所はスピード。その為、前線にいる彼にボールをわたすと、反転して裏を取ろうとする動きが目立つ。前線でボールが収まるポストプレーヤータイプではない。
岡崎慎司 滝川第二→清水
ゴン中山を尊敬し、(ゴンに)非常にタイプの似たFW。滝川第二の高校選手権の時から注目されていて、その時の雑誌に紹介されていた言葉は「常に3つの選択肢を持っている選手」つまりボールをもらった時にドリブルかパスかシュートか等々、常に3種類の選択肢がある選手という、少し珍しい紹介をされていた。プロ入り後、最初の2年は出番が無かったが、3年目にトップ下でレギュラーポディションをつかみ、チームが好調に順位を上げたことで、五輪代表チームにも召集されるようになる。得意なプレーはニアポストに飛び込むダイビングヘッドで、技術は無いが気持ちの入ったプレーは見ていて気持ちが良い。末永く清水で愛される選手になってほしい。
森本貴之 東京VY→東京V→カターニャ
中学生でJリーグデビューした怪物FW。中学2年時の東京VYの一員として出場したナイキプレミア杯(中学年代のサッカーチーム唯一の世界大会)でMVPを獲得している。また、この頃の試合で既に中学年代では飛びぬけた存在だった森本のいる東京Vジュニアユースの対戦相手の監督が立てた森本対策が「森本に3~4点取られるのは仕方が無いから、うちはそれ以上点を取って勝つ」という作戦が実際にあったらしい。05年に飛び級でワールドユースに出場し3試合後半途中から出場している。07年のU-20W杯は怪我のため出場を辞退している。06年(18歳)に海外移籍し、2年目には得点も挙げている。東京V時代は怪我のため活躍した機会が少なくあまり騒がれなかったが、実績だけ見たらこれまでの日本人選手の中でも飛びぬけている。今後どこまで伸びるのか期待したい選手。