大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

第4回大阪シティーウオーク・大阪城天守閣前

2018年11月19日 | 大阪シティーウオーク
昨日、第4回シティーウオークに参加。
今回は、大阪城天守閣前から中之島経由森ノ宮まで戻って来る約9キロのウオーキング。

コースは、
大阪城天守閣前⇒極楽橋⇒京橋公園コムズガーデン⇒造幣局⇒大塩の乱槐跡⇒天満天神繁盛亭⇒大阪天満宮⇒中之島公園⇒大阪中央公会堂⇒五代友厚像(北浜)⇒前島密像⇒八軒家浜船着場跡⇒大阪城大手門⇒もりのみやキューズモールBASE。

大阪城内で出会うのは中国人、韓国人のほか西洋人も多くとても日本とは思えません。地震以降減っていたインバウンド客も戻ってきているようです。

集合時間10時から阪神のエースであった上田次朗氏の掛け声で準備体操後出発。

大阪城天守閣・・秀吉が天正11年(1583年)築城、大坂夏の陣で落城後徳川幕府によって再築されたが落雷により天守閣焼失。その後天守のない城であったが昭和6年大阪市民の寄付によって復興された。現在残っている櫓や石垣は徳川時代のもの。現在残っている井戸の中等に豊臣時代の石垣が残っている。

極楽橋・・本丸北端の山里丸と二の丸を結ぶ全長54mの橋。戊辰戦争で焼失し現在の橋は昭和40年に再建。豊臣時代の橋は豪華絢爛で屋根付であった事は、近年オーストリアで発見された豊臣期大坂図屏風で確認されている。
(写真上左大阪城側からはOBPの高層ビル群・写真上右渡り終え振り返ると大阪城が望めます)

京橋公園コムズガーデン・・地下鉄京橋駅に隣接し空中庭園のあるグルメの地下街。屋上は京橋公園で都会のオアシスとして市民に親しまれている。

造幣局・・近代国家を目指す明治政府は最新式の貨幣鋳造工場を建設。明治4年創業。毎年4月に行われる八重桜の通り抜けは今も人気です。

大塩の乱槐(えんじゅ)跡・・江戸時代後期儒学者で大坂町奉行与力であった大塩平八郎が天保大飢饉で飢え苦しむ庶民のため起した乱が大塩平八郎の乱である。碑は、天保8年挙兵した大塩方の砲弾がここにあった樹齢200年の槐の木に着弾した所に建つ。

天満天神繁盛亭・・平成15年桂三枝(現6代目文枝)が天神橋商店街に落語会の行える空き店舗の提供を依頼。大阪天満宮の厚意で用地の無料提供を受け落語専門の寄席が復活。平成18年開業。

大阪天満宮・・日本の三大祭りの一つ天神祭が行われ、菅原道真を祀る神社。江戸時代の記録だけで7度の火災に遭い、大塩平八郎の乱の際には全焼。現在の本殿はその全焼の6年後の天保14年に再建。

中之島公園・・明治24年大阪市で最初の公園。堂島川と土佐堀川にはさまれた延長1.5キロ、面積10.6haの緑あふれる都会のオアシスとなっている。
(写真下左・公園の先端剣先の噴水)

大阪中央公会堂・・株の仲買人岩本栄之助の寄付により大正7年完成、今年は100周年。株で大儲けをした岩本栄之助は寄付後株で大損をし完成の前に自殺。

五代友厚像・・薩摩藩士、欧州留学の経験を買われ明治元年外国事務局判事として大阪在勤となり、大阪経済を立て直すため商工業の組織化、信用秩序の再構築を図り近代商工都市大阪の礎を築いた。それらの功績を顕彰するため数体の銅像が大阪市内に建てられている中でこの北浜の銅像は最大。

前島密像・・日本の近代郵便制度の創設者の一人で1円切手の肖像で知られる。郵便や切手、葉書という名称を定めた。その功績から郵便制度の父と呼ばれる。

八軒家浜船着場跡・・大坂と京都伏見を結ぶ水運の拠点で幕末期には薩長など倒幕派、新撰組をはじめとする佐幕派を問わず多くの志士がこの地を訪れた。当時の大川は今よりも川幅が広く、この碑の建つ現在の土佐堀通り南側まであった。

(写真は左から千貫櫓・多門櫓・大手門)
千貫櫓・・元和6年(1620年)築の隅櫓、大坂城最古の建造物。織田信長がこの地にあった大坂(石山)本願寺を攻めた時に、一つの隅櫓からの横矢に悩まされ「千貫文の銭を出しても奪い取りたい櫓だ」と兵士たちの間で噂されたという逸話が残っている。
多門櫓・・嘉永元年(1848年)に再築。現存する多聞櫓の中でも大坂城の多聞櫓は最大規模。
大阪城大手門・・寛永5年(1628年)、徳川幕府により大坂城再築工事の時に創建。重文。

もりのみやキューズモールBASE・・近鉄球団の準本拠地日生球場の跡地に平成27年開業したショッピングセンター。目玉は屋上に設置されたエアトラックでランニングが出来るトラックを併設。

最近のウオーキングでは「ゆっくり完歩」を心がけており、素晴らしい青空の下約9キロを2時間20分、15578歩で完歩。
途中では、紅葉の深まった風景にも出会うことができ楽しく歩けました。
関係者の皆様に感謝です。

また、ゴール手前で教育会館(現パル法円坂)の前を通り、建物は建て替わっていますが53年前ここで結婚式を挙げたことを思い出し、53年のなんと早い事か、あっという間であり相棒と巡り会えたことの幸せをつくづく感じさせて頂けたことにも感謝です。
次回の第5回(最終回)は来年3月です、健康に気を付けて参加したいものです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ハツユキカズラ | トップ | 第26回 うえまち寄席 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

大阪シティーウオーク」カテゴリの最新記事