大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

第2回大阪シティーウオーク

2018年09月25日 | 大阪シティーウオーク
9月23日、第2回シティ―ウオークのショートコースに参加。
10時に下福島公園に集合、間もなく準備体操後出発。

コースは、下福島公園⇒莫大小(メリヤス)会館⇒朝日放送⇒福沢諭吉生誕の地⇒蛸の松⇒田簑橋⇒中之島通りを西下⇒大阪府師範学校跡地⇒湊橋⇒雑喉場魚市場跡地⇒木津川橋⇒川口居留地跡⇒川口基督教会⇒中之島漁港⇒河村瑞賢紀功碑⇒安治川トンネル⇒JR西九条駅⇒安治川沿いを東へ⇒おおさかふくしま中之島ゲート海の駅⇒極楽寺(野田城跡)⇒野田恵比寿神社⇒下福島公園。

下福島公園・・室内プール・トレーニング場・野球場が二面とれる運動場を持つ福島区最大の公園。

莫大小会館・・莫大小産業が盛んな福島区の近代建築で蜆川(曽根崎川)を埋め立てた跡地にメリヤスの組合ビルとして建設。設計は堺筋にある生駒時計店等を手掛けた宗兵蔵。

福沢諭吉誕生の地・・天保5年(1834年)この地にあった中津藩蔵屋敷で誕生。

蛸の松・・中之島には諸大名の蔵屋敷が多く設けられ、建ち並んだ蔵屋敷には各藩自慢の松が植えられ人々は白壁と川面に映える松の景色を楽しんだ。中でも広島藩主の福島正則が植えたと伝わる黒松は枝振りが蛸の泳ぐ姿に似ることから蛸の松と呼ばれ親しまれた。最初の蛸の松は、対岸の大阪府師範学校跡地内にあった。

雑喉場魚市場跡・・延宝年間(1673~81)に鷺島の生魚市場の名称を雑喉場と改め、大坂三郷の中央部に所在していた魚市場を移転させて以来、昭和6年に市営の中央卸売市場に統合されるまで、実に250年以上ものあいだ大阪における魚類取引の中心であった。

川口居留地跡・・明治元年大阪開港と同時にこの地は外国人に競売され居留地を設置。ミッションスクールや教会、病院が建設され、大阪の文明開化は造幣局と共にこの地から始まった。

川口基督教会・・明治2年宣教師来日、明治14年教会設立、大正9年現在の礼拝堂建設。阪神淡路大震災で大きな被害を受けたが世界中の支援を得て復元された。

河村瑞賢紀功碑・・江戸初期の土木家。幕府から淀川改修を命じられ新しい川を堀り安治川を設置。

安治川トンネル・・昭和19年日本初の沈埋トンネル。長さ80.6mの歩行者、自転車専用トンネル。

極楽寺(野田城跡)・・享禄4年(1531年)頃築かれ、四国の豪族三好一党が改築したと推測。織田信長の拠点として荒木村重が毛利水軍との戦いで立て籠もった。大坂夏の陣以後廃城。

恵比寿神社・・創建時期不明なるも平安時代には存在。当時の大阪湾は現在よりも奥深く入り込んでおり、この地には漁業を生業とする人々が住みつき漁業の神であるエビス信仰が成立した。戦国時代には野田城内に取り込まれ武士からの信仰も得た。

本日のコースは約7キロ、10時過ぎに出発をしゆっくり歩いてきましたが安治川沿いを歩いていますと屋台が多く出ていて時計を見ますとちょうど12時、昼食を摂ることにしマグロのお寿司とビールで一休み。

ゴールした時には1時前、歩数計は16787歩。
安治川トンネルで約100段を上り下りした以外はほとんど平地でしたが少し疲れを感じました。
完歩証を頂き、一休みをしてから帰途に。










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