大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

安野光雅館・出石・天橋立

2018年04月18日 | 司馬遼太郎記念館
4月16日、司馬遼太郎記念館ボランティアバスツアーで「森の中の家・安野光雅館」へ。
毎年4月恒例のツアー、今年は司馬遼太郎氏の作品「街道をゆく」の挿絵を担当されていた京都久美浜の安野光雅館を訪問。

行程は、八戸ノ里駅前⇒近畿道・中国道・若狭舞鶴道等⇒出石散策・昼食⇒安野光雅館⇒天橋立。

80名を超える参加者が2台のバスに分乗、素晴らしい晴天の中7時50分出発。
車窓からは、葉桜となったソメイヨシノに代わって八重桜が満開、また新緑の濃淡が美しくパッチワークのように山肌を覆っています。

最初の観光地出石では昼食までの約1時間自由散策。
私は、稲荷台・本丸・山里曲輪を段状に配した出石城跡に上り出石の町を一望した後、城内の稲荷神社の朱色の鳥居を潜って下った後、家老屋敷・桂小五郎潜居跡・辰鼓楼を見学。

出石城・・慶長9年(1604年)小出吉英の築城。当時の城域は東西約400m・南北約350mあったが、明治元年に建物はすべて取り壊され、現在は隅櫓・登城橋・登城門が再建されている。
一国一城制による但馬唯一の城。
出石の皿そばのルーツは、宝永3年(1706年)出石藩主松平氏と信州上田藩主仙石氏がお国替えになった際、信州のそば職人の技法が在来のそば打ちの技術に加えられ誕生したもの。

家老屋敷・・白亜の土塀と長屋門のあるこの屋敷は出石城内に残る唯一の江戸時代の上級武士の居宅。一見平屋に見えるが隠し二階があり、また天井を低くしてあったりと不意の襲撃に備えた造りになっている。現在内部には、各種資料の他大名行列の諸道具が展示されている。

桂小五郎潜居跡・・蛤御門の変で敗れた桂小五郎(後の木戸孝允)が出石に潜み営んでいたとされる荒物屋の廣江屋跡、石碑が立つ。近くの昌念寺で囲碁を楽しむことが心の慰めであったとか。

辰鼓楼・・明治4年旧三の丸大手門脇の櫓台に時刻を知らせる太鼓を叩く櫓として建設。日本最古の時計台として親しまれている。

出石そば付の昼食後、メインの安野光雅館から天橋立へ。
天橋立では、観光船とケーブルカーにて笠松公園との二組に分かれて観光。

安野光雅館・・平成29年6月開館。建物は安藤忠雄氏設計建築で、杉板張りの外壁、外の自然を感じながら絵画を鑑賞できる展示室など、空間とともに安野光雅が描く繊細で柔らかな水彩画のような世界を楽しめます。
安野さんは天皇皇后両陛下の本を装丁した縁で2011年1月から12年4月にかけ御所の庭を訪れ、四季の草花をスケッチされ水彩で画かれた絵を「御所の花」として現在展示中。展示後は御所に献上のご予定。

天橋立・・日本海の宮津湾にある天橋立は、陸奥の松島・安芸の宮島とともに、日本三景とされている特別名勝のひとつ。 日本の白砂青松百選にも選ばれている。
幅は約20~170m・全長約3.6kmの砂嘴でできた砂浜で、大小約8千本もの松が茂っている珍しい地形で、その形が天に架かる橋のように見えることから天橋立の名が付いた。

安野氏は、原色や派手な色をほとんど使わない淡い色調の水彩画を描かれ、古都京都の寺社仏閣・街並み・祭り・風景等を描いた洛中洛外の絵は産経新聞に連載中で相棒と共に楽しく見させて頂いています。
天橋立では、ケーブルカーで笠松公園へ上り、股のぞき(写真上)で天に架かる橋を体感して来ました。
途中の丹後一宮・元伊勢の一社である籠(この)神社にも参拝。境内のシャクナゲが満開。

全ての観光を終え、朝掘りのタケノコ等を相棒のお土産に帰りました。
高速道路の渋滞もなく予定通り20時前には八戸ノ里着。
お世話頂いた皆様本当にお疲れ様でした。
お蔭様で楽しい思い出が出来ました、有難うございました。
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