大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

阿蘇と高千穂の旅(その2)

2024年05月25日 | 阿蘇と高千穂の旅
5月20日、阿蘇と高千穂の旅2日目。
朝食前、霧島ツツジも少し残っているホテルの庭園を散策、大きなブランコ越しに阿蘇五岳が望めました。

ホテル発8時45分、渓谷美と紅葉の美しさは九州随一と謳われ、日本森林浴の森百選・日本名水百選・日本の滝百選・水源の森百選等に選ばれている菊池渓谷へ。

阿蘇外輪山の北西部標高500~800mに広がる自然休養林で菊池川沿い両側の遊歩道を各々散策。

ビジターセンターから赤い橋を渡って菊池川左岸を上ります。
掛幕の滝、黎明の滝から天狗滝を経て四十三滝まで、きれいな水の流れの瀬音や小鳥のさえずりを聞きながら天然のクーラーの良く効いた林を進みます。
少し戻って対岸に渡り、竜ヶ淵経由で川沿いを下ります。

次は、相棒にとって忘れられない熊本城です、というのは2016年の熊本地震の2日前熊本城を訪問していたのです。
熊本城は、慶長12(1607)年、茶臼山と呼ばれた台地に加藤清正が当時の最先端技術と労力を投じて、名城熊本城を完成させた。
写真下左天守閣と本丸御殿・手前左の石垣は未復興

その後、豊前小倉城の城主だった細川忠利は、2代にわたった熊本城主の加藤家が改易された後、肥後に入国した。細川家は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、戦国の世の中をくぐり抜けてきた大名家です。
写真下左・加藤清正公像、下右・左手前の石垣は細川家築造・奥の石垣は加藤清正築造

その後、復興に向け関係者の絶大なる努力の結果、天守閣他主要部分の復興にこぎつけていますが、まだ石垣等覆いのかかった場所を数カ所目にし、完全に以前の状態に戻るまでなお時日を要するようです。
写真下左・数寄屋丸(石垣未復興)、下右長塀

天守の最上階にまで上り、加藤清正から細川氏の歴代城主の気分を味わいました。
その後、天守閣南側の長塀を見学して昼食。
見学後、宮崎県高千穂のホテルへ。

夕食後、近くの高千穂神社神楽殿にて高千穂神楽の見学へ。
高千穂神社・・主祭神高千穂皇神。
高千穂は日向三代の宮である高千穂宮が置かれた地と伝えられるが、天孫降臨伝承と在地固有の信仰が融合し、更に熊野修験も加わるなど複雑な信仰を包含する。
境内の父杉 ・ 町指定天然記念物。樹高55m、最大幹周9mの大杉で畠山重忠の手植えと伝える。

高千穂の夜神楽
平安末期から鎌倉時代にかけて成立した。江戸時代の末頃まで高千穂神社の神職を中心に伝承し奉納されている。
その後、三十三番に整えられ、集落ごとに伝承されるようになり、代々誇りをもって受け継がれてきた。
写真下左25番「手力雄の舞」・下右26番「鈿女の舞」

高千穂神社境内の神楽殿で毎晩20時より1時間、三十三番の神楽の中から代表的な4番「手力雄の舞」「鈿女の舞」「戸取の舞」「御神体の舞」を公開している。国の重要無形民俗文化財。
写真下27番「戸取りの舞」

舞台は、正面奥に天岩戸が設えてあり、その前には一間四方の外注連が設けられ、神楽が舞われる中央には二間四方の内注連の神庭がつくられています。
写真下15番「御神体の舞」

観賞した4番の夜神楽の内容は、天照大神が天岩戸に隠れられてしまった折に、岩戸の前で天鈿女命が調子面白く舞ったことにより、神々が大笑いし、不審に思った天照大神が姿を表したという日本神話が題材にされています。

200名近い観客を前に各々の面を付けた踊り手が太鼓と笛の演奏に合わせて各番ごとの舞を見せてくれます。
約1時間の舞台でしたが、真剣な舞とコミカルな舞があり、とても楽しく観覧できました。
本日の歩数計、12710歩。相棒と共に今夜もよく眠れました。





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 阿蘇と高千穂への旅(その1) | トップ | 阿蘇と高千穂の旅(その3) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

阿蘇と高千穂の旅」カテゴリの最新記事