大阪城での四季のうつろい

相棒や友人たちとの日々の行動を記録するため、2005年(平成17年)リタイア後ブログをはじめました。

北陸紀行(その1)

2019年09月05日 | 高齢者大学
高大歴考同窓会での催しで北陸方面へ、9月2日から2泊旅行へ。
11時40分大阪駅へ各自弁当持参で8名が集合。
12時12分発のサンダーバードで加賀温泉駅まで約2時間の列車の旅で楽しい集いの幕が開きます。

席に着き早速昼食、私はいつもの通り御堂筋弁当の数々のオカズを肴にビールと日本酒を頂きます。
御堂筋弁当には、単身赴任時帰省の際いつもお世話になった事を思い出しながら美味しく頂きました。

加賀温泉駅からはホテルの送迎バスで山中温泉へ。
夕食までの間、漆塗りの柱や格子風の壁を持つ山中座(写真上左)や芭蕉も絶賛した1300年の伝統を持つ名湯で東の横綱に選出された山中温泉の天平造りの共同浴場菊の湯(男女別)とからくり時計・足湯を見学。
T氏は足湯を体験、私は近くの行基開山と伝わる医王寺(階段120段・写真下)へ、山門をくぐりますと三味線の音、どうやら山中節のようでした。

山中温泉
今から1300年前に奈良時代の高僧・行基が発見したと伝えられています。行基は丸太に薬師仏を刻んで祠を造り、温泉のお守りとしました。多くの人が山中を訪ね、その湯で病と疲れを癒したとされます。
(写真下・足湯と飲泉)

長い時を経た元禄の頃、俳聖・松尾芭蕉が弟子の曾良を伴って日本各地を旅した奥の細道の途中、元禄2年(1689年)7月27日に山中温泉を訪れています。芭蕉は山中の湯を、有馬・草津と並ぶ「扶桑の三名湯」と讃え、「山中や 菊は手折らじ 湯の匂ひ」の句を読みました。
9日間も山中に逗留した芭蕉は、薬師堂を詣で、温泉につかり、風光明媚な景色を心から楽しんだと言われています。以来300年余の時が流れた今もなお、ここ山中の地にはこんこんと湧く出湯と豊かな自然、日本の美と心が受け継がれているのです。
(写真下菊の湯男湯と女湯)

「古九谷」は17世紀以降に焼かれた色絵磁器です。その発祥はおよそ300年前、大聖寺初代藩主前田利治が家臣の後藤才次郎と田村権左衛門に山中温泉上流の九谷村に窯を築かせたことに始まるとされ、今なお世界的に高く評価される名陶の数々を生みだしました。
奥山中に古九谷窯跡があり、現在も発掘作業が行われています。

ホテルに戻ってまず温泉、大聖寺川に面する露天風呂は快適でした。
夕食は、バイキングで各自思い思いの料理をお皿にとります。飲酒組はビールで乾杯、その後は思い思いのアルコール私は地元の冷酒を頂きました。

食後はいつもの如く幹事部屋での歓談。
麦酒を飲みながら、飲まない方もいつものようにお付き合い頂きワイワイガヤガヤ。
早めに就寝される方もあり、また明晩もありますので早めにお開き。

私はもう一度温泉に浸かり、明日の金沢への旅を夢見てバタンキュー。




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