司馬遼太郎記念館のボランティアツアーに参加。
コースは、龍野(作品「貂の皮」の主人公脇坂安治が治めた城下町)⇒室津港(同「街道を行く9播州揖保川室津みち」で描かれている)」⇒美作・宮本武蔵の里(同「宮本武蔵」の冒頭に登場)
何れも司馬遼太郎氏の作品ゆかりの地を訪ねる旅です。
8時バス二台で出発。
好天に恵まれ、バスは高速道路を順調に快走、当初の車窓からは散り始めた桜が望めましたが、西へ進むごとまだ満開の桜にも出会い、また菜の花等も美しく楽しめました。
龍野では、自由に散策ということでしたので私は旧脇坂屋敷跡から龍野城址を巡り、創業1901年という伏見商店(書店)・醤油の郷大正ロマン館を見て回りました。
室津港は1300年の歴史を有し、平安時代の遣唐使船、江戸時代には北前船や参勤交代の船も立ち寄った歴史ある港町。
大変こじんまりした港ですが、本陣跡が4つ神社仏閣(賀茂神社・見性寺他)も多数残っており、大坂城の石垣として積み出されなかった石(残念石)も残されています。
賀茂神社の歴史は平安時代にさかのぼり、京都の上賀茂神社からの分社で元禄12年(1699年)に建て替えられたとされる檜皮葺の社殿は国の指定建造物。
司馬遼太郎氏の作品「街道をゆく」の一節が郵便局の前に書かれていたり、訪問時の料理旅館が車窓から見えたりでこの地を氏が訪問されたことが偲ばれました。
最後の訪問地宮本武蔵の里では、宮本武蔵記念館前の宮本武蔵像・生家跡(立派な石碑が建てられています)・讃甘(さのも)神社(武蔵幼少期この境内で遊んだ)を見学。
宮本武蔵の二刀流(二天一流)は、讃甘神社の神主の太鼓を打つさまを見て、二本のバチを以て左右の音が等しいに感得し編み出した。
その後、近くの智頭急行線の日本で唯一個人名を冠した駅である宮本武蔵駅を見学後、一路大阪へ。
八戸ノ里駅着19時半、新型コロナ対策万全の上での司馬遼太郎氏の偉業を再認識できた大変楽しいツアーを有難うございました。
ここ数日の温かさで開きかけていた近所の八重桜が、本日の五月並みの暖かさで一気に開花が進み、ほぼ満開です。
コースは、龍野(作品「貂の皮」の主人公脇坂安治が治めた城下町)⇒室津港(同「街道を行く9播州揖保川室津みち」で描かれている)」⇒美作・宮本武蔵の里(同「宮本武蔵」の冒頭に登場)
何れも司馬遼太郎氏の作品ゆかりの地を訪ねる旅です。
8時バス二台で出発。
好天に恵まれ、バスは高速道路を順調に快走、当初の車窓からは散り始めた桜が望めましたが、西へ進むごとまだ満開の桜にも出会い、また菜の花等も美しく楽しめました。
龍野では、自由に散策ということでしたので私は旧脇坂屋敷跡から龍野城址を巡り、創業1901年という伏見商店(書店)・醤油の郷大正ロマン館を見て回りました。
室津港は1300年の歴史を有し、平安時代の遣唐使船、江戸時代には北前船や参勤交代の船も立ち寄った歴史ある港町。
大変こじんまりした港ですが、本陣跡が4つ神社仏閣(賀茂神社・見性寺他)も多数残っており、大坂城の石垣として積み出されなかった石(残念石)も残されています。
賀茂神社の歴史は平安時代にさかのぼり、京都の上賀茂神社からの分社で元禄12年(1699年)に建て替えられたとされる檜皮葺の社殿は国の指定建造物。
司馬遼太郎氏の作品「街道をゆく」の一節が郵便局の前に書かれていたり、訪問時の料理旅館が車窓から見えたりでこの地を氏が訪問されたことが偲ばれました。
最後の訪問地宮本武蔵の里では、宮本武蔵記念館前の宮本武蔵像・生家跡(立派な石碑が建てられています)・讃甘(さのも)神社(武蔵幼少期この境内で遊んだ)を見学。
宮本武蔵の二刀流(二天一流)は、讃甘神社の神主の太鼓を打つさまを見て、二本のバチを以て左右の音が等しいに感得し編み出した。
その後、近くの智頭急行線の日本で唯一個人名を冠した駅である宮本武蔵駅を見学後、一路大阪へ。
八戸ノ里駅着19時半、新型コロナ対策万全の上での司馬遼太郎氏の偉業を再認識できた大変楽しいツアーを有難うございました。
ここ数日の温かさで開きかけていた近所の八重桜が、本日の五月並みの暖かさで一気に開花が進み、ほぼ満開です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます