第43代元明天皇の命により、稗田阿礼(ヒエダノアレ)の暗唱を元にした古事記を、編纂者として献上した太安万侶(オオノヤスマロ)は、学校の日本史でも学ぶ有名人ですね。
奈良の若草山の裏側にひろがる丘陵地である田原地区、その茶畑の中にこの太安万侶の墓はあります。
細い道の分かり難い道端に小さな道標があって、そこを少し上って行くとありました。
私もなんとなく記憶にありますが昭和51年1月、自分の茶畑を整地していた註シ英夫さんが偶然掘り当て、周辺の関係者の協力もあって発見された太安万侶墓(奈良市此瀬町)です。
茶畑の真ん中の斜面にある直径4.5ⅿの円墳ですが、火葬された骨と共に出土した銅製墓誌から、太安万侶の墓であると確定しています。
半分架空の人物かとも思える人が、墓誌に依りはっきりと実在の人と分かった好例です。
返事
花水木さん:大正生まれの死亡診断書はまだよく書きます。
明治に○するのは、最近経験なくなってきました。
90歳以上でも昭和生まれですが、昭和は長いので、
4つの時代を生きるお姑さんはすごいですね。
私の子供たちは昭和最後の方の産まれなので、
昭和・平成・○・△と4つの元号を簡単に生きそうですが、
私は△はちょっと無理かも?