島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

43‐1元明天皇

2019-01-05 | 天皇陵巡り
    
 阿閇皇女(アヘノヒメミコ)の父は第38代天智天皇、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘姪娘(メイノイラツメ)ですから、第41代持統天皇とは異母姉妹になります。
従兄妹でもあり甥でもある草壁皇子と結婚して、第42代文武天皇・第44代元正天皇・吉備内親王(キビ)を産んでいます。
     
 権力者持統天皇の希望でもあるし、健康であったなら、夫の草壁皇子は天皇となり、自分は皇后になって、その後は息子天武が天皇になるはずでした。
しかし、夫草壁皇子は夭折してしまい、若くして天皇になった息子文武さえも夭折ということで、孫が大きくなるまでの中継ぎとして、阿閉皇女は藤原京で即位し第43代元明天皇(ゲンメイ)(661~721)(在位707~715)となりました。
 史上3人目の女天皇です。
      
 708年武蔵国秩父から銅が献上されたので、年号を慶雲(ケイウン)から和同(ワドウ)と改元、《今と違って同じ天皇で年号は変わって良い》和同開珎(ワドウカイチン)を発行しました。《我々はワドウカイホウと読まされて、日本最古の貨幣と憶えましたが、今は「広範囲に流通した日本最古の貨幣」と、その地位は少し下がっています。
    
 在位中の710年には、都を藤原京から平城京に遷都しました。
712年には、太安万侶が古事記を撰上しました。《お世話になりました》
     
 715年、54歳の元明天皇は老いと疲労を理由に譲位し《ちょっと若いが、わかりますね!》、娘の氷高皇女(ヒタカノヒメミコ)に皇位を譲りました。
 そしてその6年後に崩御し、ここ奈保山東陵(ナホヤマノヒガシノミササギ)(奈良県奈良阪町)に葬られました。

       返事
花水木さん:お賽銭を出した神社では、
    卑しい私は願い事を沢山してしまいます。
    それがだめの元だったのですね。
和さん:笑えるブログのリクエストがあると、
    ついつい天皇陵巡りを出してみたりする、
    天邪鬼な私です。
 

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2019年 平成31年 | トップ | 太安万侶 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (花水木)
2019-01-05 18:10:33
私も「わどうかいほう」と習いました。
かいちんって??
天皇家の系図は、ややこしいのは定番だけど、甥と結婚とは、どうにもこうにも。
無理があり過ぎますね。無理を通せば道理が引っ込む?

4月1日に新元号になりますが、どんな元号になるのやら・・・
家のお姑さまは、4つの時代を生きる事になります。
返信する

コメントを投稿

天皇陵巡り」カテゴリの最新記事