島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

42⁻2草壁皇子

2018-12-10 | 天皇陵巡り
    
 明日香から西南地域の山には終末期古墳が集まっていて、真魚シ(マユミノオカ)と呼ばれています。
その辺りにある、草壁皇子の陵と真陵の両方を捜してる時に、道を一筋間違えたのか、このマルコ山古墳に行き当たりました。
写真の中の耕運機操作中のおじさんに尋ねて、草壁皇子の陵を目指します。
    
 草壁皇子(クサカベノミコ)は、両親ともに天皇であり叔父と姪でもある天武・持統の二人の間に産まれています。
また妃の阿閇皇女(アヘノヒメミコ)(後の元明天皇)は、父親が天智天皇ですし、母親は姪娘(メイノイラツメ)なので、持統天皇とは異母姉妹(その上異母同士は姉妹です)。
 その間に産まれた子供は、元正天皇・文武天皇・吉備内親王と、皇族同士の濃い血の中で、草壁皇子は産まれ育っています。
    
 血の濃さのためか、草壁皇子は27歳の若さで亡くなり、母の持統天皇の執念も実らず、天皇になれませんでした。
 死後は、息子天武が天皇になったので、天皇の父親が天皇でないのは何かと不都合なのか、追尊天皇(ツイソンテンノウ)として、岡宮天皇(オカノミヤ)(662~689)と追号されました。
 歴代天皇には数えられていませんが、墓は陵と呼ばれ、宮内庁の管理下に置かれています。
     
 この眞給u陵(マユミノオカノミササギ)(奈良県高取町)は正面に回れませんので、石垣と垣根の下から正面を仰ぎ見るようにして、写真に納めました。
     
 この陵に行きつく前に、細い峠道をえっちらおっちら自転車で登って行くと、峠の頂上には「的場」姓が多いい大きな家が密集していました。
この小さな看板に沿って進むと、春日神社という社があり、その境内にあったのが束明神古墳(ツカミョウジンコフン)です。
    
 束明神古墳、今でこそ神社横の小さな盛り土ぐらいにしか見えませんが、昭和59年の発掘によって、直径60mぐらいの大規模な八角形墳で、わずかに残っていた被葬者の若い歯牙から、こちらの方が本当の草壁皇子(岡宮天皇)の墓だったとする方が妥当なようです。
    
 眞給u陵からは坂を下って御所方面に出、斉明天皇陵にも寄って帰ったのは、もう1年前の出来事です。

      返事
花水木さん:大化の改新後に薄葬令が出され、
     持統天皇も火葬にされて、骨壺に納められたそうです(盗掘されましたが)
      お釈迦さんも火葬で、その仏舎利が分けられていますので、
     仏教と共に火葬は広がったと思います。
      私も田舎で土葬に参加してますが、
     昔はきれいに焼くのもなかなか大変で、薪代もバカにならなかったでしょうね。

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42?文武天皇

2018-12-07 | 天皇陵巡り
  
 父は草壁皇子(クサカベノミコ)で、母は天智天皇皇女阿閉皇女(アヘノヒメミコ)(後の第43代元明天皇)である軽皇子(カルノミコ)は、7歳で父を失いましたが、祖母である41?持統天皇の寵愛の元で育ちました。
   
 高市皇子(タケチノミコ)の薨去に伴い、持統天皇は譲位し、軽皇子は弱冠15歳で藤原京で即位し、第42代文武天皇(モンム)(683~707)(在位697~707)となりましたが、政治は太上天皇(ダイジョウテンノウ)になった持統と藤原鎌足の息子不比等が担っていました。
     
 歴史的には文武の時代、701年大宝律令(タイホウリツリョウ)が完成、又30年以上断絶していた唐との国交が再開し、遣唐使がまた派遣されました。
     
    
 文武天皇は皇族出身の妃は持たず、夫人(ブジン)とした不比等の娘藤原宮子(フジワラノミヤコ)(~754)との間に首皇子(オビトノミコ)(後の第45代聖武天皇)をもうけています。
    
 文武天皇は父と同じように25歳の若さで亡くなり、高松塚古墳のそばの檜隈安古岡上陵(ヒノクマノアコノオカノエノミササギ)(奈良県明日香村)に、火葬して葬られました。
 この文武天皇の記述からは、日本書紀に続く六国史(リッコクシ)2番目の続日本紀(ショクニホンギ)になります。

      返事
花水木さん:湯気があるほうが、
    美味しく見えると思いましたが、ダメでしたか。
     リモコンの蓋を開けると、字幕設定ありました。
    やってみて、確かに字幕出てきましたが、
    大きすぎるし、字体が美しくないので、これはやめておきます。

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ダメな秋

2018-12-03 | ノンジャンル
   
 金曜日、月二回の新しい仕事を始めました、京都右京区辺りの訪問リハビリの手伝いをチョットするだけですが。
 紅葉真っ盛りの嵐山、渡月橋を横目に訪問車の後部座席から紅葉狩り。
鳥居本の立派な家や、高雄トンネル抜けた所の茶店の家にも訪問ですが、ついでの紅葉の方が綺麗。
 車から、久しぶりにキミマロズームで撮ったこの渡月橋写真は、白黒写真になっていました。
   
 土曜日は、滋賀県坂本の日吉大社に紅葉狩り。
   
 「チコちゃんに叱られる」を見てから出発したので、混んでるかなと思いましたが、紅葉祭も前日に終わったようで、駐車場もまだまだ空いていました。
   
 曇り空から陽が射してくると、まだまだ綺麗な紅葉ですが、風でかなり葉が舞ってきます。
   
 1kmほどブラブラ散歩して、隣の西教寺も訪問。
聖徳太子が開創された寺で、天智天皇の時代に西教寺の号を下賜された古い寺です。
   
 境内には、明智光秀一族の墓や、光秀の妻で細川ガラシャ夫人の母にあたる明智煕子(ヒロコ)の墓も有りました。
再来年のNHK大河の主人公が光秀なので、ここもたぶんもっと有名になるでしょうが、先取りです。
   
 こちらの紅葉は、まだもう少しは綺麗な感じで続きそうです。
    
 ちょっと早めの昼は、蕎麦です。
坂本の蕎麦屋は、今は「鶴喜そば」が有名で、もう前には行列が出来ていましたが、私が食べたのはその横に昔からある「日吉そば」。
入った時は客は私たちだけですが、このにしん蕎麦の鰊も大きくて美味いし、家内が頼んだざるそばも腰があって美味い。
値段的にも多分こちらの方を薦めます。
   
 そして日曜日はゴルフコンペ、12月というのにチョッキでプレー出来る暖かさ、でもスコアは絶望的で、ハンディにも恵まれずブービー賞(布団乾燥機は貰えましたが)、ゴルフは根本的に考え直さなくてはならないかもしれません。
 帰りの車に息子からメールが入り、チャンピオンズCでぼろもうけと、親の私の結果はダメを再確認。
 競馬も麻雀もゴルフも、今年はだめな秋です。

     返事
花水木さん:字幕設定とはどういうことですか?
    今どきのTVは4Kどころかそんなことも出来るのですか?
    ぜひ教えて下さい。

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