父は草壁皇子(クサカベノミコ)で、母は天智天皇皇女阿閉皇女(アヘノヒメミコ)(後の第43代元明天皇)である軽皇子(カルノミコ)は、7歳で父を失いましたが、祖母である41?持統天皇の寵愛の元で育ちました。
高市皇子(タケチノミコ)の薨去に伴い、持統天皇は譲位し、軽皇子は弱冠15歳で藤原京で即位し、第42代文武天皇(モンム)(683~707)(在位697~707)となりましたが、政治は太上天皇(ダイジョウテンノウ)になった持統と藤原鎌足の息子不比等が担っていました。
歴史的には文武の時代、701年大宝律令(タイホウリツリョウ)が完成、又30年以上断絶していた唐との国交が再開し、遣唐使がまた派遣されました。
文武天皇は皇族出身の妃は持たず、夫人(ブジン)とした不比等の娘藤原宮子(フジワラノミヤコ)(~754)との間に首皇子(オビトノミコ)(後の第45代聖武天皇)をもうけています。
文武天皇は父と同じように25歳の若さで亡くなり、高松塚古墳のそばの檜隈安古岡上陵(ヒノクマノアコノオカノエノミササギ)(奈良県明日香村)に、火葬して葬られました。
この文武天皇の記述からは、日本書紀に続く六国史(リッコクシ)2番目の続日本紀(ショクニホンギ)になります。
返事
花水木さん:湯気があるほうが、
美味しく見えると思いましたが、ダメでしたか。
リモコンの蓋を開けると、字幕設定ありました。
やってみて、確かに字幕出てきましたが、
大きすぎるし、字体が美しくないので、これはやめておきます。