38-1天智天皇(626~672)と蘇我倉山田石川麻呂の娘遠智娘(オチノイラツメ)との間には、大田皇女(~667)と鸕野讃良皇女(ウノノサララノヒメミコ)(645~703)の他に、今回の建王(タケルノミコ)(651~658)も産まれたので、次期天皇の有力候補になったと思います。
しかし建王は話すことが出来ない皇子であり、8歳で薨去してしまいました。
祖母の37-1斉明天皇に深く愛されていた建王は、この祖母の越智崗上陵(オチノオカノエノミササギ)に間人皇女と共に合葬されています。
しかしながらその当時、祖母が姑の立場から幼い孫を身近に置いて愛することが出来るでしょうか。
7月28日の私のブログ36-2孝徳天皇皇后間人皇女(ハシヒトノヒメミコ)で書いたことと同じになりますが、38-1天智天皇と36-1孝徳天皇の皇后になった同母妹36-2間人皇女との間の同母兄妹恋はありえたと思うので、建王はその間に産まれた秘密の子と考えたらどうでしょうか。
自分の息子天智天皇と自分の娘間人皇女との間に産まれ、障碍者で幼くして亡くなった建王を、祖母の37-1斉明天皇は実の娘の子であるので身近に置くことが出来、可愛がり、死んだ時には薄幸の孫と娘と共に3人で合葬してくれと願ったのではないでしょうか。
時代系列的にもなんとか話は合いそうですが・・・・・。