島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

2≠P綏靖天皇陵

2017-03-10 | 天皇陵巡り
 
 初代神武天皇は、まだ日向の国にいる時に、アヒラヒメとの間に二人の子をもうけていました。
東征には后(キサキ)のアヒラヒメは置いていきましたが、兄の五瀬命と共に、我が子の内長兄のタギシミミノミコトも引き連れていっています。
 大和で政権樹立後は、正式の大后(オオキサキ)として、三輪の大物主神の娘ヒメタタライスズヒメをめとり、ヒコヤヰノミコト・カムヤヰミミノミコト・カムヌナカハミミノミコトの3人の息子が産まれています。
 
 神武天皇が亡くなった後、先妻の子タギシミミノミコトは後妻で未亡人になった義母でもあるヒメタタライスズヒメをめとり、天皇の位も得ようと、3人の異母弟を暗殺する謀を計画しました。
これを知ったヒメタタライスズヒメは、実子を殺されると、
 「狭井川よ 雲立ち渡り 畝傍山
           木の葉さやぎぬ 風吹かむとす」
と詠んで、実の息子たちに警告を発したそうですが、なんでこれで分かったのか、私にはもひとつ理解できませんが、簡単にわかるようでは相手にも分かってしまいますものね。
  
 殺される前に義理の父になったタギシミミノミコトを殺そうと、兄弟は押し入りましたが、寸前になって兄のカムヤヰミミノミコトは赴Cづいて、殺すことが出来ませんでしたが、末弟のカムヌナカハミミノミコトは躊躇なく義父を殺したので、兄はこの失態を恥じて皇位を辞退し、末弟のカムヌナカハミミノミコトが即位して、第2代綏靖天皇(スイゼイテンノウ)となりました。
 
 綏靖天皇は師木県主(シキノアガタヌシ)の祖であるカハマタビメを妻として、シキツヒコタマデミノミコトをもうけ、葛城の高岡に宮殿を作り、天下を治めたと古事記に記されています。
 
 綏靖天皇は在位33年で、古事記では45歳、日本書紀では84歳で亡くなり、ここ桃花鳥田丘上陵(ツキダノオカノエノミササギ)に葬られたそうです。
 
 この綏靖天皇陵は、神武天皇の畝傍山東北陵のすぐ北の平地にありますが、江戸時代はこちらが神武天皇陵であると言われていてて、綏靖天皇陵と直されたのは明治になってからですので、ここに誰が葬られているのか、そもそも葬られた人がいるのかも分からないでしょうね。
 
      返事
花水木さん:伊吹山、いつも南側から見ていますが、
    全く違う山容です。
コメント (1)
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長浜盆梅展

2017-03-05 | 
 
 羽柴秀吉が最初に築城した長浜城の城下町長浜は、琵琶湖の北東湖岸にあります。
思ってたより伊吹山が近くに見えますし、この方向から雪をかぶった伊吹山を見ると、南から見てた時と違って、意外と富士山に似た形をしていました。
 
 土曜日、その長浜駅前にある慶雲館に行きました。
明治天皇が京都へ行幸した時に、その休憩所として作った建物です。
なんか大きな石が使われた庭には、こんな大きな石灯籠もありました。
   
 芭蕉句碑も、日本で一番大きなものだそうで、芭蕉の句碑と言うイメージはありませんでした。
    蓬莱に きかばや伊勢の 初たより
 
 毎年冬の2か月ほど慶雲館で開催される、長浜盆梅展の鑑賞です。
さすがに年配の男女ばかりです。
  
 
 盆栽の梅ですが、部屋の天井にあたりそうな、運び入れるのも大変な大きさのものもあります。
  
  
 20年ぐらい前にも行ったことがありますが、70歳近くなって盆梅を観ると、その当時よりはるかに美しく感じます。
桜は若者でも綺麗と感じますが、梅は年とればとるほど、その良さがより感じられるようになる花なんでしょうね。
  
  
  
 この盆梅展の梅は、1年に1回の盆梅展のために専門家に育てられているそうです。
梅の花は、翌年に同じ枝に咲くことはないとのこと、それが本当なら自然に咲いてそうな月ヶ瀬や南部の梅林の梅は、毎年どんな風に咲いているのか疑問ですが。
いずれにしても、盆梅展の梅は、毎年剪定されているそうで、「桜切るバカ、梅切らぬバカ」と言う通り、梅の木はどんどん剪定するようですね。
そんな人工的な梅の盆栽も、昔はあまり興味なかったのに、今は良く感じるようになったお爺さんです。

    返事
花水木さん:孫とスキーに行けたのは、確かに幸せでしたね。
    でも、息子が撮ったDVDを見て、シティーボーイがスキーをしてると思っていた自分が、
    白馬村や野沢村の村営リフトの雪かきをしていた、
    村のお爺さん連中とそっくりなのに、愕然としてしまいました。
     息子さんの真打昇進はめでたいのですが、三遊亭橘也さんは、
    落語の名人になるには賢すぎる感じがします。
    文才は保証しますので、ピースの又吉のように本を書いて、
    直木賞を狙う方が合ってる気はしてます。
コメント (1)
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一家でスキー

2017-03-01 | 
 
 貸スキーを10セット借りて、車に乗せて、一家全員11人で1泊2日のスキー旅行に出発です。
11人で10セットは、予行演習で夫婦で行ったスキーで、家内が自信を無くしてしまい、今回は後方支援に廻ったからです。
 
 滋賀県と福井県の境にある国境スキー場まで1時間半ほど、峠には融雪装置が稼働していて、少し積もった新雪も融かしていたため、楽々到着。
 ムービングベルトと言う動く歩道様の装置もあるので、初体験の孫3人もこれに乗ってそり遊びも出来ますし、すぐに慣れてスキーを履いたまま乗ることも出来ました。
 
 欠点は休む所や食べる所が少なく、土日は満員で利用できず、昼にはスキー場をあとにして、マキノ高原で昼を食べました。
日帰りでも行ける近郊スキー場ですが、近くの琵琶湖岸のホテルに宿泊、早めに着いたのでチェックインまで、註カ島が間近の湖岸でのんびり過ごしました。
 
 新しく加わった婿がお茶の先生なので、狭い部屋のベッドの上で一服二服と薄めの濃茶をいただきました。
旅行用の小ぶりの道具、茶碗も乾漆造りなので、想定外の軽さですし、ホテルでお茶も想定外です。
 早めの夕食と、もう一度子供たちの部屋でもお茶をいただいて、バタンキューです。
  
 2日目、土曜日よりも混んでいましたが、孫3人はリフトも乗って、上の方からゆっくり降りれるようになりました。
 ちょっと左に傾いたボーゲンの姿勢は、家内そっくりで血は争えませんが、家内に言わせると「あんたも昔から全く変わらないスタイルで、上達なし」と言いますし、息子が撮った写真を見て、おのれの爺さんスタイルに愕然としてしまいました。

     返事
花水木さん1:医者でお堅い人はあまりいませんよ。
     他の職業の人と話をすると、真面目さに驚くことが多いです。
花水木さん2:連続コメントが出来ないいたずら防止策があること、
    初めて知りました、ありがとうございます。
コメント (1)
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