島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

4番目のお客さん

2008-05-26 | 五島列島
 チョット間が空きました。
3年間で京都から4組目の客として、若い女の子が奈留島に来てくれたので、舞い上がった私は、ブログする時間がとれませんでした。
 といっても、娘のガールスカウトのリーダーだった人なので、30代でしょう。
家内はガールでよく知っていますが、私は初対面でした。
 
 1週間弱の休暇をとって、「鳥栖のアウトレットモール」「佐世保のハンバーガー」「長崎のトルコライス」「長崎県立美術館の福山雅治写真展」を楽しむ一人旅のようですが、奈留島に福山雅治そっくりの人がいるとわざわざ尋ねてくれました。
 木・金と、福江島と奈留島は家内が案内し、土・日は、3人と一匹で上五島観光を楽しみました。
 
あいにく土曜日は天気が悪く、奈留島発若松行きのフェリーは霧の中、乗客は我々だけでした。
 何故か乗務員のおっさんが、船の舳先で(タイタニックごっこ)をしていると思ったが、よく考えてみると、霧の中港を出るまでは目視で安全確認をしてくれていたのですね。
 
 いよいよ次は、上五島観光案内を始めましょう。
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外科学会2

2008-05-20 | 九州本土

 2日目、「医学史展覧会」を観覧。

 写真撮影禁止の、シーボルトの使っていた外科器具セットは、ほとんど今のと変わらない型をしていました。
 
 写真撮影O.K.の「峯式自動吻合器」の実物は始めて見ました。
峯先生は、私の医局の教授で、自動吻合器のはしりを開発されていることは、誇りです。
 私が入局した頃の指導者は、皆この峯先生のお弟子さんで、古い徒弟制度の下、きっちり使い走りをさせてもらいました。



 目玉は、ASIMOの実演。
意外と小さく、電車のつり革につかまる事は出来ないぐらいです。
 別につり革につかまらなくても、抜群のバランスで急ブレーキでも立っていられそうです。

 上半身の動きもかなりスムーズで、もうかなり人間的です。
映画「AI」の様な時代まで、もう少しか。

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外科学会

2008-05-19 | 九州本土

第108回 日本外科学会定期学術集会が長崎でありました。

 もう最先端の外科とは無縁の外科医にとって、参加はあまり意味が無いのですが、
30年ほど前に始めて学会発表したのが、長崎の外科学会だったような気がして、また京都からよりはほんの少し短い時間で行けることもあって、土日は長崎に行ってきました。

 これももう、実際には持っていてもあまり意味も無く、それ程のこともしていない「外科専門医」の称号。
今年はその5年の更新の年。
 以前「古狸」さんが、病院の机の隅から見つけて送ってくれた古い参加証
(古狸さんの罵詈雑言や、ある時は褒め殺しに堪えてきたのは、時々こんな親切をしてくれるからです)。
 この古い参加証と、今回の学会の参加証を集めて送ると、更新料を払うだけで「外科専門医」の称号が貰えるのです
(もっとも、若い外科専門医は、ちゃんと試験を受けて、手術症例の報告書も集めて、専門医に成っているので、ご安心下さい)。

 年寄り外科医のちょっとした見栄と、優越感をくすぐる制度ですが、私もかなり見栄っ張りのようで、「外科専門医」の称号を、もう5年間我が心に持てる、と言うだけで行った、長崎1泊2日の旅でした。
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消防団

2008-05-16 | 奈留島
全国的に消防団員の数が減少して、どこも人員確保に苦労していると、朝のNHKTVで伝えてました。

恒例の夕方散歩の時に、奈留島消防団の訓練に、最近遭遇します。



総合グランド(フーク専用ドッグラン)と体育館の間の道路を使って、ホースを延ばし的に向かって放水を、4人一組で訓練しています。

他の消防団員の見学(指導?手伝い?)は多いですが、単にもの珍しそうに見学しているのは我々だけでした。
 
今頃訓練? 何故かな?
 と思っていたら。
五島市広報に、5月25日「五島市消防ャ塔v操作大会」が福江であると掲載されていました。
   頑張れ!!奈留島消防団
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Merci Beaucoup

2008-05-13 | 京都の思い出
子供の時からの友人の娘さんが、フランス人と結婚して、パリに住んでいます。
 奈留島に来る前に、始めてパリへ行った時も、ルーブルなどを夫婦で案内してもらいました。
 今春、子供が産まれて、京都に里帰り中。
お土産のチョコレートと万年筆を送ると、父親である友人から連絡がありました。

筆箱の中に万年筆が入っているものと、開けてみたら。


イニシアルをかたどったフランスのチョコレートでした。
 写真のために自分の名前の真ん中を消すと、になることに始めて気が付きました。
 ”ほんまに罪なおとこは~ん”と呼ばれていた理由がわかりました。

1週間後、フランスの万年筆が届きました。
 万年筆を貰ったのは、中学入学のとき以来です。(昔は中学で万年筆・高校で腕時計)
今年は、還暦祝いで上等のボールペンも貰ったし、筆記用具づいてます。
 もうじき来る誕生日に鉛筆を貰うと、3大筆記用具の揃い踏みになりますね。
   Merci Beaucoup
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