島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

福江ー奈留 航路

2009-04-20 | 奈留島
 土日はあんなに晴れて波静かだったのに、一転今日はちょっとした嵐になり、福江ー奈留間の航路は欠航しています。  恐るべき!海!
   
 土曜日福江に自転車でぶらっと行った帰り、天気も良く波も静かで、室内はやや込んでいた為、この神保さんも奈留島からの帰りに乗ったニューたいようの屋上に一人座って過ごしました。
   
 鬼岳を見ながら、福江港をあとにします。 15:55
    
 今日はめずらしく、こんな船が沖合いに停泊していました。
    
 右手には有人島の椛島が見えてきました。今この島の小中学校生は全部で4人だけのようです。
    
 長崎からの九州商船のフェリーともすれ違います。
    
 
 船は白い航跡を描き、福江島がどんどん遠くになります。
こんな焼酎のコマーシャルがあったはずです。
    
 左手に久賀島(前の灯台は別の島)が現れます。
久賀島の長崎側はまったくの崖です。久賀島が180度向きを変えていたら、奈留島より繁栄していたでしょう。
    
 右手に前島のトンボロが、今日は干潮で線のように繫がって見えてきました。
同じ航路の「フェリーオーシャン」とすれ違います。
  「ニューたいよう」なら30分
  「フェリーオーシャン」なら45分で福江ー奈留を結んでいます。
      
 奈留島の浦の港が見えてきました。
この辺りの風景は、私には何故か映画「瀬戸内少年団」を想い出させます。
 本土から帰った時など、奈留のこの風景が見えてくると、「帰ってきた」と思うようになりました。
     
 この向こうにわずかに奈留病院の屋上が見えるのか? 16:25

  ぜひ天気の良いときにこれに乗って、奈留島においで下さい!
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2 コメント

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Unknown (花水木)
2009-04-20 21:57:22
行ってみたいです。
・・・

奈留島は、こうしてみると都会ですね。

焼酎のCMはいいちこでしたっけ?
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Unknown (喜珍)
2009-04-20 22:58:27
所詮は、「たられば論」でしかありませんが・・・

久賀島の向きが違っていたら、奈留島以上に栄えたであろう。
・・・との先生の論は、港の向きが良い方向だったらということだと思いますが、多分、違うだろうと思います。

奈留島は、久賀に比べると、農地に恵まれていません。
しかし、ある意味ではそのことが幸いして、当時としては先駆的だった「まき網漁法」が導入され、結果として、島民の働く場が確保されました。
・・・これは、たまたまの偶然ではなく、当時の先人の先見の眼があったからこそということだと思います。
それに対して、本来は幸いであるはずの、農地に恵まれたことによって、久賀には船団漁業が取り入れられませんでした。
・・・決して、久賀の方達は先見の目がなかったとかいうことではなく、当時は農業で暮らしていけたであろうからです。

工業化が進展し、貨幣経済が地方にも本格的に浸透する中で、農業中心で、漁業以上に現金収入の確保が難しくなった久賀が、奈留島よりも一足先に昭和の大合併の時に合併を選択せざるを得ない状況になったのです。
そして今、漁業もかつてのようには現金収入を得るのが難しい状況になって、奈留島も合併せざるを得ない状況に追い込まれたのです。

ですから、単に、久賀湾が長崎の方を向いていれば、久賀の方が奈留島よりも栄えたであろうという風にはいかなかっただろうと思います。

決して、先生の説にけちをつけるつもりはありません。
先生であればこそ、きちんとご説明しようと思っただけですので、ご理解のほどを願います。 <(_ _)>
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