膿瘍切開した患者さんとしゃべっていて、イカ釣りに連れて行ってもらえることになりました。
本物の漁師さんと一緒に行くイカ釣りの旅です
土曜日夕方出発ですが、心配なので昼は軽く食べるだけにして、おやつも食べず、おやつは持って行くだけにしました。
昼過ぎかなり雨が降りましたが、浦湾内はベタ凪です。 また雨が降るなら帰ってこようと、出発。
海岸から10m以上離れると心配になり、地面から5m以上高くにいると不安になる私なので、恥ずかしながら、持って来た浮き輪を早速膨らまし、しっかり足元に保持しています。
終戦が数日遅かったら、少年兵として潜水艦で出発予定だった80歳の漁師さんは、60歳の私よりもはるかに身軽に動き回り、煙草を獅サうに吸います。
思わず「一本ください」と言いそうになりました。
が、千畳敷の沖に錨を下ろし、波間に漂う頃から、チョット気分が悪く、油断すると酔いそうになり、煙草どころではなくなっていました。
疑似餌をつけた長い糸を、船べりから何本か降ろし、それを手で操りながらひたすら待ちます。
なかなか当りません
集魚灯が点いて、いかにもイカ釣りの感じが出てきました。
三日月が昇り、それでも周囲は漆黒の闇、遠くに巻き網船団の灯が動いています。
が、だんだん余裕が無くなってきました。
やっと私の糸にも一匹、釣れた感じも解らず単に糸を上げてみると、小さなイカがかかってくました!!!
恐ろしい勢いで墨を吐きます!
ヤッター!!
それで緊張の糸が切れたのか、もうダメです!
船べりから海中へ、量は少ないですが、5回ほど嘔吐を繰り返しました。
食物残渣が、集魚灯に明るく照らされて、海中に沈んでいくのが、やけに鮮明に綺麗に見えて、
それで終了! THE END すみませんでした
港に帰って、早速さばいてもらったイカを、言われたとおりにサランラップに包んで冷凍しました。
死んでるイカは、まだ吸盤をまな板に吸い付ける元気がありました。
生きている私は、もう食事する元気はありませんでした。
船酔いは、船から降りてもはだ揺れてるようで
どうにも困りました。
でも釣り立て新鮮な烏賊は身が透き通っていて
綺麗ですね。
食物残渣って、医学用語でお綺麗にまとめてあるあたりが、かろうじて、医者であることを証明しているような気がしますね。センセ自身がサランラップで包んでもらわなあかんハメに陥らなくてよかったですね。