大納言藤原実季(サネスエ)を父とし、藤原経平(ツネヒラ)の娘睦子を母として産まれた藤原苡子(フジワラノイシ・シゲコ)(1076~1103)は、1098年に3歳年下の第73代堀河天皇(1079~1107)(在位1086~1107)に、白河上皇の世話で入内しました。
写真は、これまで20回以上紹介しましたが、これで最後の宇治陵総拝所です
これは堀河天皇の中宮篤子内親王(トクシ)(1060~1114)が、19歳も年上女房で、この時はもう40歳近くで子供もいなかったために、なんとしても苡子に世継ぎを産んでほしかった為のようです。
写真は、36ある宇治陵の一つ木幡にある第5号です
苡子は期待に応えて、1103年に第1皇子宗仁親王(ムネヒト)を産みましたが、難産の末亡くなりました(28歳)。
そしてこの親王が第74代鳥羽天皇になったので、苡子は皇太后を追贈されていますが、苡子が命に替えて子をなさなかったら、天皇家の歴史も大きく変わったかもしれません。
藤原北家出身の皇后などが眠る宇治陵総拝所の制札の陵としては最後に、鳥羽天皇御母贈皇太后苡子宇治陵と書かれています
苡子の父実季は藤原北家閑院流ですので、これに依って閑院流は再び勢いをまし、北家本流の摂関家を凌駕するようにもなりました。
苡子の火葬塚は、写真の一条天皇皇后定子の鳥戸野陵と同じですが、こちらは堀河天皇女御贈皇太后になってます
返事
toitenn・和・花水木・元商家の嫁さん:
1.と2.同票でしたので、裁判で争います!
でも、有権者全員が女の子だったのは、うれしい限りです!
女の古(こ)?
画とか写真、好みが分かれますね。
食べ物は更に顕著です。
「女の古」 花水木さんに座布団1枚!1