島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

奈留島銅像巡り 2

2008-09-14 | 奈留島

 3連直2日目、今日は発熱の子供が数人ぐらいで、今のところのんびりです。
台風のせいか、ぱらぱら雨が降ったりやんだり、第28回地区対抗年齢別ソフトボール大会も結局中止すると、告知放送が有りました。

   
 奈留病院横の離島開発総合センター前に有る、名誉町民「宿輪静磨」さんの胸像です。
 長きにわたり奈留村長や漁業組合長を歴任され、
   *漁業振興と網の地区共同経営を推進し、特別な富者貧者のいない村作りを実行。
    (奈留島には鰊御殿のような豪邸はありませんが、飢えてる人もいなかったようです)
   *教育にも力をいれ、高給で優れた教師を集めた。
    (教育には全島熱心です)
   *奈留病院の元となった、漁業組合立厚生病院を設立。
    (私も来れました。静磨さん、ありがとうございます)
 などなど、なんとなく今も残る、奈留島の雰囲気と伝統を作ったような人なので、
偉い人だったような気がします!
 昭和52年(1982)建立で、作者は誰だと思いますか?



   なんとなんとこれも、佐藤敬助さんでした。

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2 コメント

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Unknown (花水木)
2008-09-15 12:43:50
素晴らしい方ですね。
貧富の差が無い
教育に熱心
島民のための病院等
このような方が、国政に携わっていたら
今のような情けない事にはならなかったはず・・・

奈留島って素晴らしいです。
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Unknown (浮岡)
2008-09-15 06:01:18
昨日休日で自宅のパソコンで朝先生のブログ見てコメント入れてラップトップパソコンの蓋を閉めたところ、蓋の根元のちょうつがいのところがばこっと壊れてしまった・・・・のでした。一瞬真っ青(ぎゃー!!!)→昨日は壊れたパソコンが気になりつつ昼間PTAバレーの大会、夜その懇親会ありまして、夜中目が覚めて(歳のせいか・・・)しこしことその壊れた部分を修理いたしました。で現在9/15朝5:50無事修理完了、テストランのインターネット接続も問題ありません。良かった良かった・・・ってこれじゃあコメントになっていませんね。
宿輪静磨さんはそれこそお名前は存じております。浦地区のご出身の方だと記憶していますが・・・。違いましたっけ??
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