27. みかの原 わきて流るる いづみ川
いつ見きとてか 恋しかるらむ
中納言兼輔(チュウナゴンカネスケ)(877~933)
中納言兼輔は賀茂川の堤に大きな邸宅があったので堤中納言とも言われた藤原兼輔のことで、紫式部のひいお祖父さんにあたります。
「みかの原からわき出て大きな川になったいづみ川、そのいづみ川という名のように、一度も逢ったことがないのに、どうしてこんなに恋しいのでしょうか」
私の京都の家の横を流れる小川もいづみ川と言って、いずれ下鴨神社の境内に流れていきますので、このいづみ川のことだと思っていましたが、この歌のいづみ川はもっと大きな木津川のことでしたよ。
27. 海岸に わきて溢れる 夏井井戸
だれが飲んだか 推理ふくらむ
わきて・る・か・らむ 7字 同じ
奈留島の夏井と言う場所の海岸に、この写真の小さな井戸が有ります。
本当に海岸すぐ近くなのに、良い真水が出たらしく、昔夏井に停泊した船は便利で良い水なので、この井戸から水を汲んだそうです。
遣唐使船も中国までの飲料水として、南宋貿易の朱印船も船中の飲み水として、この井戸の水を積み込んだようですので、空海もこの水を飲んだかもしれませんし、伊能忠敬はまちがいなくこの水で喉を潤したと、色々想像します。
そんな気持ちがうまくまとまった、同じ字は少ないですが、この歌も良し。
奈留島も昔は水の確保が困難で、あちこちに井戸があって、今もそこに祠があって祀られている場所も少なくありません。
その中で夏井の井戸が一番有名で、この水を使うから夏井は奈留島で一番美人が多いといわれていますし、臨終末期の水としても、古人はこの水を希求したと言われています。
井戸の目の前2mはもう海、写真のように相ノ浦湾の出口にあたる海岸です。
それなのに真水が出るのも不思議ですね。
返事
花水木さん:私は和歌に詳しいわけがありません、高校古文は苦手でした。
和歌は自分の心情がばれてしまう感じですし、また私情や恋心が入っていないと和歌とは言えない様なので、
素人の和歌は恥ずかしいですね。
そのてん俳句はドロドロした私情を述べなくてもいいから、
今俳句をやる素人が増えてるような気がします。
喜珍さん:戦後は反動で、この額田王の歌が三角関係の歌との解釈がはやったのですかね、
私もそんな風に教育を受けた覚えがあります。
あまり親しくはしていないけど。
ミカンの木 脇に流るる 名無し川 いつ剥きて食ふ 楽しかるらむ
・・・かなり苦しいですが、とりあえず追いつきましたよ。 (^_^;)
>先生、花水木さん
水を差すようで申し訳ないのですが、奈留島に限らず、島の多くは海底の地層が火山活動などによって隆起してできたものなので、地層は水平ではなく斜めになっているのが普通です。
この地層の傾き具合によって、海岸のすぐ近くでも海水が混じらない井戸が出来る場合があります。
こういう井戸の大半は浅井戸ですが・・・夏井の井戸も、こうした井戸の典型だろうと思います。
一度、水中ャ塔vでさらえたことがありますが、そうすると井戸の底の角の辺りから湧き出てくるのがわかります。
この夏井の井戸の水は腐りにくかったので、遣唐使などの船に積む水の最後の補給地となることもあった・・・とかいうような話が伝わっています。
もしも、それが正しい話だとすれば、この辺りの地質の組成から、井戸の水に含有されるミネラル分に理由があるのではないか・・・と、僕は思います。