今回は出雲路橋周辺だけですが、ここが京の七口の一つ本来の鞍馬口なんでしょうね。
1.上善寺 2.幸福屋
3.公衆トイレ 4.養鯉場 5.志波無桜碑 6.出雲路鞍馬口碑
出雲路橋西詰にたどり着きました。
横の通りは賀茂川右岸を北上する加茂街道にあたります。この道を進んでも、まあまた鞍馬街道に合流するのですが。
南東角には、3.公衆トイレと大正4年に建った賀茂御祖神社へ5町の石柱が有ります。
南西角には4.養鯉場が昔からあります。昔は大きな鯉の看板があったことで、子供心に記憶がありました。
北東の角、賀茂川の川岸に下りる所の木の下に5.「志波無桜碑」(シハム師範)と書かれた碑がありました。
1905年(明治38年)に日露戦争戦勝を祝って、加茂川西岸に桜と楓を京都師範学校関係者が費用を出し合って植えたのを記念する碑です。
それから100年以上、2279本の桜はもう代が変わってるのでしょうね。
先の碑の後ろに回ると、そこには新しい6.「出雲路鞍馬口」の石柱が建っていたので、ここがお土居で囲まれた京の出口(京の七口)の一つ出雲路口・鞍馬口の場所のようです。
じゃあ今までは何だったたんだ、と突っ込まれそうですが、まあ清蔵口が出発点だと言う説もあるので、お許しを。
では鞍馬街道に出発です。
そして鞍馬口を出た途端渡るのが、この出雲路橋。
ここを通って島根県出雲に行くのかと思われる方もありそうですが、次回説明しますね。
南側の欄干には鴨川と書いてあり、向こうに見えるのは大文字山です。
普通は出町で高野川と合流してからが鴨川と言われてますが、加茂川でも賀茂川でも鴨川でも、厳格な区別が無いのが、いちゃもんつけるの好きな京都人にしては珍しいですね。
(こんなん書いたら誰かがいちゃもんつけそうですが)
現在の出雲路橋は昭和58年に出来たようですが、昔々は飛び石を渡ったり、舟橋の仮橋の時もあったようです。
京都から出るためには、必ず川を越えねばならないので、京都の橋の歴史もちょっと興味あります。
ややカーブのある軽い太鼓橋の出雲路橋を渡ります。
これを渡ったら「洛外かあ!」と思いながら昔の旅人は渡ったんですかね。
比叡山が大きく迎えてくれています。