写真は福井県立美術館内の喫茶店で妻が食べた方のケーキです。
スイーツ写真が一番目に出てきたら、月輪陵(ツキノワノミササギ)ですよ。
第108代後水尾天皇(1596~1680)(在位1611~1629)と後宮園光子(1602~1656)との間に産まれ、後水尾上皇の第4皇子の当たるのが紹仁親王(ツグヒトシンノウ)です。
中継ぎである異母姉第109代明正天皇(1623~1696)(在位1629~1643)の譲位を受けて、予定通り11歳で紹仁親王は即位し第110代後光明天皇(1633~1654)(在位1643~1654)となりました。
在位期間中はずっと父後水尾上皇が院政を敷きましたが、異母姉明正天皇の母徳川和子が義母となっていたので、一応徳川家(3代家光・4代家綱の治世中)は外戚の地位を保ち続けたことになります。
写真は横に廻って塀越しに除いた月輪陵、さすがにたくさんの石塔が並んでましたが、どれが誰のかは分かりませんでした。
後光明天皇は学問を愛する明敏な天皇だったようですが、痘瘡により22歳の若さで崩御し、今までの火葬から土葬に変わって月輪陵(東山区今熊野泉山町)に埋葬されました。
子供は典侍庭田秀子(ニワタヒデコ)(?~1685)との間に内親王一人しかいませんでしたので、次期天皇は異母弟になりました。
後光明天皇は剣術の稽古にも関心を示していたので、江戸幕府が療養中の天皇に医師を派遣し、毒を持ったという説もあるぐらいです。