島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

上高地へ1

2019-09-15 | 
 
 一度は行きたかった上高地、40年ほど前まだ安房トンネルが出来て無かった頃に、一度釜トンネルの前を通りすぎたのですが、行かなかった上高地。
 9月の週末金曜日の朝5時半に自宅を出発、写真のひるがの高原サービスエリアなどで何度も休憩しながら、比較的安全運転で、平湯温泉あかんだな駐車場(1日600円)に着いたのが昼前です。
天気は申し分なしでした。
 
 マイカーでは上高地に入れませんので、路線バス(往復2050円)で上高地まで30分程、一番手前の大正池で降りました。
 1915年(大正4年)に焼岳の大噴火で梓川が堰き止められて出来た池ですが、流れ込む土砂でだいぶ小さくなり、有名な枯れ木も残りわずかになってるようです。
大正池の後ろに聳える、初めてじっくり目にした日本アルプスの山並みは、ちょっと感激するぐらいの景色でした。
 旅行の印象は、やっぱり天気に左右されますね!
 
 梓川に沿って林の中を上がりましたが、途中梓川が何本も枝分かれして並行して流れるような小川がたくさん流れていて、快晴なのに全く暑くはありません。
水は綺麗で、奥入瀬渓流よりも私たちの評価は高かったです。
 
 正面の六百山などからの伏流水が湧き出て、この田代池や湿原を作ってるそうです。
水は無いと思うぐらい透明です。
 
 梓川の本流自体は結構大きく、流れも水量も思っていた以上にあります。
水の色も綺麗です。
 
 1時間ちょっと歩いて、最初に見つけたホテルの食堂で遅めの昼ご飯。
再び歩き始めて、明治時代に日本アルプスに魅了され、その存在を世界に広めたウォルター・ウェストンの碑にたどり着きました。
ここを目標に歩いていたのに、写真を撮ってる人がいなかったら、危うく通り過ぎる所でした。
 
 一度は行きたかった上高地、一度は泊まりたかった上高地帝国ホテルに、頑張って清水の舞台とまではいきませんが、2階から飛び降りるつもりで泊まりました。
 
 夕食前の散歩で、ホテルの裏に廻ると、山は夕照?。
 
 部屋はそれほど広くなく、山小屋風ですが、夕食はさすが帝国ホテル、非常に美味しかったです。
接客も丁寧ですし、他の泊り客も私たちより皆上品でした。
 
 このメニューの中で、スープが珍しい味で濃厚で美味しかったです。
頑張って骨折もせずに2階から飛び降りて、泊まった甲斐はありました。
 
 最後に親戚自慢を。
上高地帝国ホテル内の図書館に鍵のかかった本棚があって、その中に有名な深田久弥さんの古い本などに混じって、藤木九三さんの古い本も5冊ほど並んでいました。
藤木九三と言っても山男以外には馴染みはないと思いますが、北穂高岳滝谷の初登攀をしたり、甲子園のスタンドをアルプス席と名付けたりした、登山家兼新聞記者兼詩人です。
 九三さん、実は私の叔母の嫁ぎ先の舅にあたります。
60年程前小学生の頃、叔母の甲子園球場の裏にある家によく泊まりに行きました。
高校野球を一日中出たり入ったりして観たり、その頃はあったダブルヘッダー(1日2試合同じカードの阪神戦をやります)を観に行くと、途中で叔母が外野席まで弁当を届けてくれました。
又今では考えられませんが、7回を過ぎると甲子園球場の阪神戦も無料開放になるので、仕事から帰ってきた叔父に連れられて、ナイターの最後だけを観に行ってました。
その頃九三は丁度今の私ぐらいの年齢で、男の孫も少なかったのか、可愛がってくれましたので、私にとっては単なる好々爺、そんな偉い人とは思っていませんでした。
 奥穂高には「藤木レリーフ」と言うウェストン碑のような顕彰碑もあって、その除幕式に叔母は山男に背負われて出席したと話してくれていたのですが、私の今の足ではそこに行くのは無理なようです。

     返事
花水木さん:こんな芋あんは初めて食べましたが、
    流行してるのですね。
     関西では、スーパーの野菜売り場には、
    徳島産のいろんな野菜が並んでいますよ。
大雪男さん:五島にいた頃から、
    人口減少が少なくプロレスなど頑張ってるのは小値賀島だけと聞いていました。
    奈留島も合併せずの方が、町民の一体感は増したと思いますよ。
     首位巨人・5位阪神が今の実力ですかね?
    横浜になんとか日本シリーズに行ってほしいですが。
    来年はオリンピック年なので、阪神優勝の可能性はあります。
 

コメント (3)
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