今年初めての定例会が迫ってきました。それで本日文教厚生常任委員会、議会運営委員会、全員協議会が行われたので報告致します。
今宮日新聞、朝日新聞等で報道された「西都児湯医療センター」の常勤医退職が西都にとって大きな問題となっています。
常任委員会において、その経緯が報告され、全員協議会において市長より説明がありました。
内容は報道にあったとおりです、ザックリ言うと4人いた常勤医の内3人が退職の意向を示した(と言うか退職したいという決意を示した)ものです。
これは西都児湯11万人の住民の安心安全にとって由々しき問題です。
只この発端となった理事会(元々の問題はそれ以前から有りましたが)が非公開となったので、詳しい内容は分かりません。
非公開になった理由は自由闊達な議論ができない、また理事会のあと評議員会において理事会での決議の内容が議論される手はずだが、その前に報道されたら評議員会の意味(存在理由)がなくなるという物でした。
担当課、市長の説明はおおむね報道の通りでした(と言うか、それ以上のことは立場としてできない・・理由は上記)。
報告を受けて議員から色々と質問が出ました、ですがやはり詳しくつっこんだ回答は出ませんでした。
ということで客観的な報告はできません、でも救急医療に携わってきた(また市民の皆さんもそう思っている)私です、今の主観的な考えを述べてみたいと思います。
私はこの救急医療に市民段階から携わってきました、「西都児湯の救急医療を考える会」を立ち上げ、市民の立場から応援してきたつもりです。
5.6年前の危機の時、市長や時の救急病院の院長相沢先生達の医師集めの苦労を知っています、私も時の知事や県の医療薬務課に単身で話しに行きました。その後運良く(これはほんと運良くです)優秀な医師が集まり、そしてここ最近のセンターの充実ぶりはうれしく思っていました。
新病院への道筋も出来つつありました、ですがその一方私はある危惧を感じ続けていたのも事実です。
それは救急医療の理念を追求する事以外の雑音が有ったことです。
例えは違うかもしれませんが、「正義」と言う言葉があります。これはこれで個人は深く心に持つべき物ですが、それを他人に向ける事に使うと、生じるのは「争い」です。
戦争はすべからく、そのような結果で起こるものだと私は思っています。
戦いあう国は、それぞれその国にとっての「正義」で戦いを始めます。どちらも正義なのです、どちらの国にとって戦争は正しさのために始めたものです。
でもその結果は一般市民にとって、決して幸せを生むことはありません。
ならばどうすべきか、それは立場を度外視した大局を持つこと、そして視点を多く持つ、視野を広げることだと思います。
一つの固まった視点で対立する物事を見ては、そこには憎しみしか生じません。
これが争いの最大の原因です、前に何回も書いたと思いますが「宗教」が表に出すぎると
争いを収めるのが難しいのはこのことなのです。
宗教という一つの価値観だけで相手を見るのは、怖いことなのです。
ちょっと話が飛びましたが、「自分は絶対正しい」という考えは、短期的には成功するけど、長期的視野で見ると長続きしません。
それは歴史が示しています(長期政権が成功した政権、短期的に終わってしまった政権を学べば理解できます)。
「自分はこれが正しいと思う」、でももしかすると「相手が正しい」と言っていることも一考しようかな、という視野の広い考えが大切だったのです。
そしてスタンスとして、「市民の安心安全を守る」と言うことを根本において、ある程度柔軟的な考えをしていれば・・・と私は思っています。
そして、私はこうも思っています。
タイムマシンが有ればあのときに戻って修正できるかもしれない、でも現実は無理です。
ならば今から出来ることを一所懸命することが大切だと。
それは一市五町一村の住民の安心安全を守るという、ただそれ一点を目標とすることです、そしてそれのために一所懸命がんばることです。
不謹慎な考えかもしれませんが、後戻りできない時期にこのような問題が起こったら、もっと不幸でした(たとえば、数十億円をつぎこんで新病院を作った後におこったらと思うと。それこそ西都にとって取り返すことが真に難しい状況です)。今なら、何とかなります、何とかできると信じています。
そしてこのことは、その段階になったら必ず報告致します。
今の状況は断腸の思いです、でも何年か後、あのときは大変だったねと思い出として語れるような将来のため、出来うることはやっていこうと思っています。
今宮日新聞、朝日新聞等で報道された「西都児湯医療センター」の常勤医退職が西都にとって大きな問題となっています。
常任委員会において、その経緯が報告され、全員協議会において市長より説明がありました。
内容は報道にあったとおりです、ザックリ言うと4人いた常勤医の内3人が退職の意向を示した(と言うか退職したいという決意を示した)ものです。
これは西都児湯11万人の住民の安心安全にとって由々しき問題です。
只この発端となった理事会(元々の問題はそれ以前から有りましたが)が非公開となったので、詳しい内容は分かりません。
非公開になった理由は自由闊達な議論ができない、また理事会のあと評議員会において理事会での決議の内容が議論される手はずだが、その前に報道されたら評議員会の意味(存在理由)がなくなるという物でした。
担当課、市長の説明はおおむね報道の通りでした(と言うか、それ以上のことは立場としてできない・・理由は上記)。
報告を受けて議員から色々と質問が出ました、ですがやはり詳しくつっこんだ回答は出ませんでした。
ということで客観的な報告はできません、でも救急医療に携わってきた(また市民の皆さんもそう思っている)私です、今の主観的な考えを述べてみたいと思います。
私はこの救急医療に市民段階から携わってきました、「西都児湯の救急医療を考える会」を立ち上げ、市民の立場から応援してきたつもりです。
5.6年前の危機の時、市長や時の救急病院の院長相沢先生達の医師集めの苦労を知っています、私も時の知事や県の医療薬務課に単身で話しに行きました。その後運良く(これはほんと運良くです)優秀な医師が集まり、そしてここ最近のセンターの充実ぶりはうれしく思っていました。
新病院への道筋も出来つつありました、ですがその一方私はある危惧を感じ続けていたのも事実です。
それは救急医療の理念を追求する事以外の雑音が有ったことです。
例えは違うかもしれませんが、「正義」と言う言葉があります。これはこれで個人は深く心に持つべき物ですが、それを他人に向ける事に使うと、生じるのは「争い」です。
戦争はすべからく、そのような結果で起こるものだと私は思っています。
戦いあう国は、それぞれその国にとっての「正義」で戦いを始めます。どちらも正義なのです、どちらの国にとって戦争は正しさのために始めたものです。
でもその結果は一般市民にとって、決して幸せを生むことはありません。
ならばどうすべきか、それは立場を度外視した大局を持つこと、そして視点を多く持つ、視野を広げることだと思います。
一つの固まった視点で対立する物事を見ては、そこには憎しみしか生じません。
これが争いの最大の原因です、前に何回も書いたと思いますが「宗教」が表に出すぎると
争いを収めるのが難しいのはこのことなのです。
宗教という一つの価値観だけで相手を見るのは、怖いことなのです。
ちょっと話が飛びましたが、「自分は絶対正しい」という考えは、短期的には成功するけど、長期的視野で見ると長続きしません。
それは歴史が示しています(長期政権が成功した政権、短期的に終わってしまった政権を学べば理解できます)。
「自分はこれが正しいと思う」、でももしかすると「相手が正しい」と言っていることも一考しようかな、という視野の広い考えが大切だったのです。
そしてスタンスとして、「市民の安心安全を守る」と言うことを根本において、ある程度柔軟的な考えをしていれば・・・と私は思っています。
そして、私はこうも思っています。
タイムマシンが有ればあのときに戻って修正できるかもしれない、でも現実は無理です。
ならば今から出来ることを一所懸命することが大切だと。
それは一市五町一村の住民の安心安全を守るという、ただそれ一点を目標とすることです、そしてそれのために一所懸命がんばることです。
不謹慎な考えかもしれませんが、後戻りできない時期にこのような問題が起こったら、もっと不幸でした(たとえば、数十億円をつぎこんで新病院を作った後におこったらと思うと。それこそ西都にとって取り返すことが真に難しい状況です)。今なら、何とかなります、何とかできると信じています。
そしてこのことは、その段階になったら必ず報告致します。
今の状況は断腸の思いです、でも何年か後、あのときは大変だったねと思い出として語れるような将来のため、出来うることはやっていこうと思っています。
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