国文祭の一環の「つまのまち写真コンテスト」が展示中です
「つま」という言葉でイメージしたものを写真で表現したコンテストです
実行委員の私と外山さんの賛助作品も展示しています
今回の「つま」というもので製作した写真についてキャプションを書きました
是非読んでいただき、会場に足をお運びください
「つまの町」写真コンテスト 賛助作品
妻 -1990年代-
「妻」というシンプルな地名はもっと誇って良いと思っていました。
その昔「幸福駅」という鉄道切符が人気が出たとき、同時に「妻」の切符も人気になりました。当時名古屋に住んでいた私は誇らしい思いでした。
空手の教え子の空手着の左胸にある「妻」という学校名は他県の方々に印象が強いらしく、空手の国際指導員に来てもらい県の子供たちを指導してもらった時も「妻」という文字を見て「すてきな校名ですね」と言いました。
さて写真の話です、 ある時一冊の写真集を買いました。それは当時、11PMやトゥナイトという深夜番組によく出ていたアラーキー(荒木経惟)の「わが愛陽子」という写真集でした。
その写真集の中の、なに気ない日常の中の陽子さんにひかれ、そしてそれを撮ったアラーキーにあこがれました。荒木さんの陽子さんへの愛、そして写真への愛を強く感じました。これこそが写真だ、という啓示を私は受けました。
奥さんの陽子さんですが、残念ながら1990年に42歳という若さで亡くなられました。(その後出版された「冬へ」という写真集も名作です)
柳田国男によって見いだされた日本人の世界観に「ハレ」と「ケ」がありますが、写真が好きになった私は「ケ」日常に、そして荒木さんが日常の陽子さんを淡々と撮ったように「日常の妻に」カメラを向けるようになりました。
その時代の写真が今回の展示作品です。私の「妻」の作品は、村上春樹さんの「パン屋再襲撃」の中のこの文章に符合しています。
「僕は彼女がひどく気の毒に思えた。彼女は間違った場所に置き去りにされたのだ。もっと別の場所にいれば、あるいは彼女はもっと幸せになれたかもしれないのだ。」
国文祭にあたり、全国に妻という地名を印象づけたいと思い、コンテストを企画しました。ただ写真界の雑誌等の廃刊などもあり、うまく広報が出来ず応募作品が少なっかったのは残念でしたが、「つま」というテーマでコンテストが出来たのは良かったと思っています。
西都市美術協会 副会長 橋口登志郎
アサヒカメラモノクロ写真 2001年度1位
日本カメラモノクロプリント 2008年度1位