“記し継ぐべきことシリーズ”を再開します。
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記し継ぐべきことシリーズの“滝川市の負の遺産”のうち吉岡分を終えましたので、次は田村分です。
実は一昨年(2021年)、田村弘の負の遺産が新たに発覚したんです。そこの部分はこの“記し継ぐべきこと⑬滝川市の負の遺産(田村・病院分)”には含めず、後に項を改めて(田村・新病院分)とでもして記し残したく存じます。
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実は、吉岡清栄市長と田村弘市長の間に林市長ってのがいたんです。
吉岡清栄は1971年~1991年の20年間にわたり市政を取り仕切っていていろいろなムダなモノを造っていたんだけど、肝心な後継者の育成にも無能でした。(吉岡清栄は暗黒時代の元凶でもありました)
なもんだから、その後の市長はこのマチにゆかりのない道庁出身の人が市長に迎え入れられたのです。
林市長は迎え入れられた人なもんだから、吉岡時代の暗部を露(あら)わにされることも無く、隠密にして助役らが対処していました。(林氏は後に薄々気付いて嘆いていました)
ただ、買い物中毒のオバさん状態だった吉岡清栄が大きな借財をつくっていたため、林市長が新たな負の遺産なんて成しようがなかった、ってのが現状です。
林市長時代に市庁舎の建設がありましたが、吉岡時代に敷いたレールに乗っただけでした。
また当時は、市町村合併が現実味を帯びていた時分でしたので、後に“過大”と評価される庁舎も致し方なかったのではないか?と思う次第です。(数市町が合併した際の新庁舎の意味合いがあったようです)
林氏は1991年から2003年の12年間市長を務めました。
今回からの主役となる田村弘は2003年から2011年の8年間 市長だった人です。
林氏と同様、買い物中毒のオバさん状態だった吉岡清栄が大きな借財をつくっていたため田村弘市長が新たな負の遺産なんて成しようがなかった、ってのが現状です。
しかし市職員生え抜きの市長だったため、吉岡清栄市長の暗部を引きずることになりました。
そのことはこのシリーズで事業団のゴロツキSの件やごろつき夫婦による生活保護費2億4千万円恐喝事件などでボクが厳しく糾弾しています。
このことも滝川市の負の遺産(田村分)なことは事実です。
ただ、彼が大きな箱モノを造った唯一のモノが、後世に大きな負の遺産となって市民生活を圧迫する事態となったことを忘れてはいけません。
あまりに大きな負の遺産となりましたので、そのことを後世に記し残します。
今から10~20年前の田村弘市長も、彼が心酔する恩師の吉岡清栄のようにいろんなものを造りたかったんでしょうが、そうはできず、唯一造ったものが大きな負の遺産になってしまったんです。
取り返しがつかないほど、大きな負の遺産です。
それは滝川市立病院の建設でした。