昨年だったか、一昨年だったか覚えていないが、ネット情報に大和高田市の岡崎の地でハタアメ(旗飴)をしているようなブログ記事が見つかった。
5色・5本のハタアメを貰いにくる子どもたちはどこに出かけているのだろうか。
子どもたちが貰っていた場所は神社のようであるが、はっきりとしたことは書いていなかった。
そのネット情報はいつしか消えてしまった。
手がかりは岡崎に鎮座する神社である。
で、あれば探してみるしかない。
そう思ってやってきた岡崎の地。
神社は見つかったが春日神社である。
ハタアメを貰える日は初午である。
一か月遅れのニノ初午の場合もあるが、初午行事が行われる神社は稲荷社である。
これまで取材した神社はどことも稲荷社である。
初午の日に何故、ハタアメを供えるのか、このこと自身がわかっていないが、初午=ハタアメである。
その日を知っているのは先輩たちから継いできた初午=ハタアメ情報である。
神社でなくとも商店でも行けばもらえていた。
年に一度の楽しみは奈良県各地にあるが、私の調べでは地区は限定されている。
香芝市、葛城市、広陵町、大和高田市、橿原市、川西町、田原本町、御所市、高取町、桜井市・・・宇陀市榛原であった。
春日神社の氏子であれば、ハタアメ行事のことはわからないだろう。
そうは思ってみても、地区を巡ってみて村の人に聞くしかない。
春日神社がある付近に旧村の佇まいをみせる集落がある。
何軒か呼び鈴を押してはみたが反応がないから諦めて、東側に出る。
そこは新興住宅が建ち並ぶ家々がある。
家の横の畑で自作栽培していた女性がおられたので聞いてみた。
家は新興住宅であっても、神社の近くにお住まいなので自転車で走り回ってハタアメ貰いの子どもたちを見たことがあるかもしれない。
そう、思って尋ねてみたら、「してますょ」であった。
初午行事をしているのは、ここより北側にある小山に鎮座する稲荷社である。
神社は春日神社以外に稲荷社があったのだ。
岡崎の初午は二月に行われる初午行事のようだ。
ただ、2月には「午」の日は2回ある。
1回目は2月12日の日曜日で、2回目は24日の金曜日である。
そのいずれかに初午行事をしている可能性が高い。
いずれか決まれば神社から通知が届くようだ。
婦人は初午の日の9時にお神酒などをお供えているというから通知をいただくそうだ。
たぶん12日であるような気がするが、万が一その日でなければ連絡してくださるというありがたい婦人の出里は川上村の白屋であった。
大滝ダムの建設によって土地そのものが崩壊しかけない状態になった白屋の住民すべてが移転せざるを得ない状況に陥った。
婦人が選んだ道はここ高台の地になる岡崎の地に住処を移して暮らしだった。
大多数が県内平坦部に転居した37年前から岡崎の地で毎年のように初午の日にお供えをしてきたという。
まさか、ここで元白屋の住民に出会えるとは思ってもみない縁に感謝した。
岡崎の稲荷社は現認している時間がない。
帰宅してから探してみれば、三野山(岡崎山)に鎮座する岡崎稲荷神社でわかったが・・・2月12日ではなかった。
前日に婦人が電話してくださったのだ。
2月初午でなく、ニノ初午。
つまり3月の初午であったことがわかった。
2回目の「午」のである。
ここ岡崎で気になる情報がネットにあった。
これもまたブログのようだが、情報を再度探してみても見つからなかったが、寒施行(かんせぎょう)をしているようだ。
稲荷社があるだけに間違ってはいないと思うが、講の存在を確かめなくてはならない。
(H29. 2. 3 SB932SH撮影)
5色・5本のハタアメを貰いにくる子どもたちはどこに出かけているのだろうか。
子どもたちが貰っていた場所は神社のようであるが、はっきりとしたことは書いていなかった。
そのネット情報はいつしか消えてしまった。
手がかりは岡崎に鎮座する神社である。
で、あれば探してみるしかない。
そう思ってやってきた岡崎の地。
神社は見つかったが春日神社である。
ハタアメを貰える日は初午である。
一か月遅れのニノ初午の場合もあるが、初午行事が行われる神社は稲荷社である。
これまで取材した神社はどことも稲荷社である。
初午の日に何故、ハタアメを供えるのか、このこと自身がわかっていないが、初午=ハタアメである。
その日を知っているのは先輩たちから継いできた初午=ハタアメ情報である。
神社でなくとも商店でも行けばもらえていた。
年に一度の楽しみは奈良県各地にあるが、私の調べでは地区は限定されている。
香芝市、葛城市、広陵町、大和高田市、橿原市、川西町、田原本町、御所市、高取町、桜井市・・・宇陀市榛原であった。
春日神社の氏子であれば、ハタアメ行事のことはわからないだろう。
そうは思ってみても、地区を巡ってみて村の人に聞くしかない。
春日神社がある付近に旧村の佇まいをみせる集落がある。
何軒か呼び鈴を押してはみたが反応がないから諦めて、東側に出る。
そこは新興住宅が建ち並ぶ家々がある。
家の横の畑で自作栽培していた女性がおられたので聞いてみた。
家は新興住宅であっても、神社の近くにお住まいなので自転車で走り回ってハタアメ貰いの子どもたちを見たことがあるかもしれない。
そう、思って尋ねてみたら、「してますょ」であった。
初午行事をしているのは、ここより北側にある小山に鎮座する稲荷社である。
神社は春日神社以外に稲荷社があったのだ。
岡崎の初午は二月に行われる初午行事のようだ。
ただ、2月には「午」の日は2回ある。
1回目は2月12日の日曜日で、2回目は24日の金曜日である。
そのいずれかに初午行事をしている可能性が高い。
いずれか決まれば神社から通知が届くようだ。
婦人は初午の日の9時にお神酒などをお供えているというから通知をいただくそうだ。
たぶん12日であるような気がするが、万が一その日でなければ連絡してくださるというありがたい婦人の出里は川上村の白屋であった。
大滝ダムの建設によって土地そのものが崩壊しかけない状態になった白屋の住民すべてが移転せざるを得ない状況に陥った。
婦人が選んだ道はここ高台の地になる岡崎の地に住処を移して暮らしだった。
大多数が県内平坦部に転居した37年前から岡崎の地で毎年のように初午の日にお供えをしてきたという。
まさか、ここで元白屋の住民に出会えるとは思ってもみない縁に感謝した。
岡崎の稲荷社は現認している時間がない。
帰宅してから探してみれば、三野山(岡崎山)に鎮座する岡崎稲荷神社でわかったが・・・2月12日ではなかった。
前日に婦人が電話してくださったのだ。
2月初午でなく、ニノ初午。
つまり3月の初午であったことがわかった。
2回目の「午」のである。
ここ岡崎で気になる情報がネットにあった。
これもまたブログのようだが、情報を再度探してみても見つからなかったが、寒施行(かんせぎょう)をしているようだ。
稲荷社があるだけに間違ってはいないと思うが、講の存在を確かめなくてはならない。
(H29. 2. 3 SB932SH撮影)