マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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鴨神戌亥講の宵宮還幸

2015年05月21日 08時44分19秒 | 御所市へ
度々訪れる御所市鴨神の行事取材。

この日は高鴨神社の分霊を祀っていたそれぞれの宮座講が還る還幸祭が行われる。

そのうちの一つである上頭講(じょうとうこう)がある。

講中の一人は鴨神の大西垣内に在住する。

12月に行われる大西垣内の申講でもある。

訪れる度に一度来てほしいと云われていた。

昼には講中のトヤ(当家)家でヨバレがある。

会食を済ませて高鴨神社に参ると話していた。

上頭講は7軒。かつては倍以上もあったそうだ。

尋ねていった鴨神は佐味郷と呼ばれる地域。

東佐味・西佐味・鴨神下・鴨神上の4カ大字からなる郷村であるが、営みの場となるトヤ家が見つからなかった。

毎度停めさせてもらっている場で佇んでいたときのことだ。

下にある民家の前庭で動き出した男性。

屋内から運んだ社や行燈を設営されたのだ。

男性は申講の一人でもある顔馴染みの人である。

設営された社は何であるのか尋ねてみた。

この日の夕刻には高鴨神社へ参拝する。

出発するにあたって分霊を祀った社に向かって拝礼をする。

その際には太鼓を打って「ゴヘイガマイルゾー マイルゾ ワーイ」と囃すと云うのだ。

男性は上頭講でもなく「いぬい講」であると云う。

方角を示す漢字であったと話しで思い出した。

平成19年の10月10日は高鴨神社に献灯される秋祭りの寿々伎提灯取材だ。

それより始まる2時間前。

神社鳥居付近に集まる3人の男性がおられた。

話しを聞けば宵宮の日には白い幣を掲げて参拝をすると云うのだ。

その際に囃す詞がある。

「ヨロコビノ ヨロコビノ ゴヘイガマイルー ウワーハハーイ」である。

高鴨神社の宮司にも承諾を得て撮影させていただいたのが戌亥講(いぬいこう)だった。

当時、参られたのは男性の父親だった。

引退された父親を継いで講中を勤めている。

なんという出合いであろうか、不思議な縁は7年後の再会である。

設営された男性は神前に米・酒・水やサツマイモ・ナシ・コンブも供えてローソクを灯す。

手を合わせて戌亥講の神さんに手を合わせる。

これより2時間半後には二人の講中が参集する。

それまでの時間は上頭講のトヤ家を探すのだが見つからない。

家の玄関前には提灯を下げていたが不在であった。

仕方なく大西垣内を探索してみる。

1軒が見つかったが「やさか講」だと云うのだ。

講中のトヤ家は水野垣内。

山の神弁天さんとんど焼き観音さんなどの水野垣内の行事を取材させていただいた地である。

訪ねて行ったM家には大西垣内のFさんの奥さんが居た。

奥さんはM家の奥さんと親しい間柄。話しが弾むのである。

「やさか講」は夕方5時にトヤ家でヨバレ。

それより先に御幣を作る。

お米を包んだ紙包みを御幣に括る。

今ではパック詰め料理になったが、かつてのヨバレはすき焼きだった。

今では簡略化したそうだ。

高鴨神社に参るのは夜の7時。

歩いていくというが遠方地である。

その際に囃す詞は「マイルゾ マイルゾ オヘーガマイル」だそうだ。

「オヘー」はおそらく御幣のことであろう。

再び戻って戌亥講のトヤ(当家)家に向かう。

戌亥講はかつて4軒であったが、今は3軒。

平成19年に取材させてもらったときも3軒であった。

そうこうしているうちに二人の講中がやってきた。

二人は福西垣内。

お一人の顔は覚えているYさんだ。

平成21年12月から翌年にかけてカメラのキタムラ奈良南店で「御渡りのトーニン」をテーマに鴨神の還幸祭も展示したことがある。

「写真が展示してあった」と村の人から伝えられたそうだ。

平成19年にはトヤを勤めたYさんも私のことを思い出してくれた。

懐かしい話しで盛り上がったのは云うまでもない。

講中が揃ったところで御幣作りが始まった。

この日は翌日のマツリの御幣も作る。

始めに手掛けたのは大御幣。

三枚の扇を括りつけた日の丸御幣である。



御幣の扇には赤紙を半月のように切り取って貼り付ける。

一つはお月さん。

もう一つはより鋭角に切った半月を二枚重ねで貼り合わせる。

それはカラスだと云う。

一枚の扇にそれぞれ貼り付ける御幣である。

宵宮のこの日に持っていくのは小御幣だ。



シノベダケの先端をナタで割って20枚ぐらい重ねた幣を取り付ける。

幣は一枚、一枚ひっくり返すように反転させる。

盛り上げはまるで雪洞のように見えるような形にした。

適量のお米を半紙で包んだ御供を小御幣に結び付ける。



ハチクに取り付ける大御幣。

挟む部分を伐り落として紙片を充てる。



キリで穴を開けて水引きで括る際には二枚重ねの赤・白の幣も通す。

小御幣とも長さは七尺および六尺だそうだが、小御幣よりもひときわ大きいように見える幣である。



これは翌日のマツリ参拝の際に持っていく大御幣である。

御幣ができあがればトヤ家でのヨバレ。

参拝に出発するまでの時間帯は会食である。

鴨神の宮座講ではそれぞれ参拝する時間が決まっているようだ。

トヤ家には太鼓があった。



片面は破れているが、打った音色はドン、ドンと鳴る太鼓には「大正村字鎌田丸や佐五郎 大正六年拾月□□太鼓張替」と書いてあった。

数時間の会食を終えた講中。

そろそろ出発の時間がきたと云って腰をあげた講中はネクタイを締めたスーツ姿だ。

この時間帯は真っ暗である。



傍に小御幣を立て、分霊を祀った社にローソクを灯す。

拝礼をされて立ちあがる講中は小御幣を一人ずつ手にした。

「ヨロコビノ ヨロコビノ ゴヘイガ マイルーマイル ワッハァーイ」と2度発声されて出発だ。



本来ならトヤ家から歩いて出かけるが、この日は乗用車で向かう。

運転手は奥さんだ。

小学生に幼稚園児の子供も連れて向かっていった。

出発の際には太鼓を打つと云っていたが、この日は打つことはなかった。

道中にある福西垣内のY家辺りや適当な場の数か所でも発声するお渡りの先頭はトヤ家だ。

神社に着けば鳥居を潜って宮司を待つ。

お祓いをしてもらって発声する。

その様相を拝見したのが7年前だったのだ。

この日は談山神社の御供作りの取材がある。

申しわけないが神社参拝を拝見する時間はない。

(H26.10.10 EOS40D撮影)