マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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東佐味弥勒寺千灯供養

2015年03月22日 09時01分58秒 | 御所市へ
4月に行われた峰山百体観音祭は時間的に間に合わず拝見できなかったが、寺総代らから御所市東佐味の弥勒寺で千本灯明が行われると聞いていた。

同寺でかつて8月13日に東佐味の六斎講による六斎念仏が行われていた。

講中はお一人であるため現在は中断している。

お寺さんや寺総代らに話しを伺いたく早めに出かけた。

到着した時間帯は寺総代や村役員たちが本堂前や弁天さん、地蔵石仏、墓石などにローソクを立てていた。

千本灯明というだけに多いローソクの本数。

いったいいくらであるのか尋ねてみた。

使用したローソクの箱は空っぽだ。

箱には20本入りと書いてあった。

このローソク箱を数えてみれば60箱にもなる。

単純計算してみれば1200本。

風でローソクの火が消えないようにすべてのローソクは紙で巻いていた。

役員たちは手分けして作業した。

「けっこうな時間がかかった」と云うのに納得する。

この日の寺行事は千灯供養。

始めに施餓鬼供養が行われる。

この日は14時に行われたようだ。

しばらく間をおいて19時より千灯供養が行われる。

千灯供養は巡拝する地蔵菩薩や弁天さんに紅白の御供餅を供えていた。

2斗も搗いた御供餅。

木桶の内部にいっぱい詰まっている。

その上にはセンベイのような形の「テンゴク」と呼ぶ餅も供えている。

こうした御供餅を予め供えておいて始まった千灯供養。

まずは本堂にあがった住職が本尊に向かって法要を営まれる。

お堂には数人の婦人らが上がっていた。

手を合わせてご真言を唱えている。

弥勒寺は高野山真言宗派である。



本尊法要は18時40分ころより始められて数分間の法要が行われる。

その間に何人かの村人たちが参拝に来られる。

「誰でもいいから」と云って鐘楼を撞く。

総代も鐘を撞いていた。



やってきたご婦人も撞けば連れてきた子供も撞く。

いわゆる呼び出しの鐘撞き。

これより千灯供養が始めるという村人への合図である。



鐘の音色を聞いた村人たちはぞろぞろとやってきて、本堂前庭に立てたローソクに火を点けていく。

ローソク立ては前庭だけでなく地蔵菩薩の前にも立ててある。



そこにもローソクに火を点ける。

村人はあっちこっち、と火点けに移動する。

葛城山系に陽が落ちて夜に移る寸前の地蔵法要である。



地蔵菩薩の石仏は高野山開創1200記念の大法会奉修供、弥勒寺改築の際に亡くなられた物故者の追善法要の為に造立したそうだ。

檀家たちは我が家の墓地にもそれぞれローソクを灯していく。



その間も住職は地蔵菩薩に向かって法要をされる。

暮れていく夕闇に灯したローソクの灯りが幻想的になってきた。



子供連れの家族もやってきてローソクの火点け。

水平にすれば火が消える、立てれば蝋が落ちてやけどをする。

始まる前に注意事項を述べた住職が話した通りに火を点けるが、子供たちは遊びのつもりもあってかトーチにする子もいた。



地蔵さんに法要をした住職は本堂本尊、弁天さんにも弔いの供養念仏をされる。



そのころともなれば婦人たちが住職の後列について並んでいた。



ぐるりと境内墓地を巡って再び地蔵さんに参る。

これを3回繰り返すのであるが、この夜はサービスがあったのか4回も巡った。

巡礼或いは巡拝のような千灯供養の在り方のように思えたが、墓石の前で拝む人は見られなかった。

ちなみにこの辺りで行われている施餓鬼は弥勒寺が最後だと云う。

千灯供養も〆になるのでは・・と思った。

1時間20分も保つというローソクの火。

30分も経てば消えているローソクもあった。

紙で巻いていたことから風に煽られて燃え方が早かったようだ。

ぞろぞろ住職についていく檀家たち。その数は多く、子供もついていく。

伸びた行列は20数人にもなった。

「千灯供養の巡礼は昔からこういう感じだった」と寺総代らが話していた。

こうして千灯供養を終えたら「ゴクマキ」に転じる。

供えた餅を撒く場合は「ゴクマキ」。

供えずに単に餅を撒く場合は「モチマキ」と呼ぶが、そういうことも知らないのは見かけしか知ろうとしない町の人。

誤解する人も多いので敢えてここで書かせていただく。

弥勒寺では争いに巻き込まれないように配慮して先に小さな子供にお菓子を手渡し。

狭い境内前庭にひしめくように座った村人たち。



夜のゴクマキをとらえるのは難しい。

(H26. 8.20 EOS40D撮影)