ドイツプレイ(4) - 黄の場合

2010-01-08 16:05:20 | HoI3

HoI3AAR、前回分からの続き。
前回分 → ドイツプレイ(3) - 白の場合
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今朝、ベルリンのイギリス大使はドイツ政府に最後通牒を渡しました。

我々の国はドイツと戦争をすることになります。

平和への最後の努力が水泡に帰し、痛恨の極みであります。

──9月3日、チェンバレン首相のラジオ放送より





ドイツがポーランドに侵攻したことにより、ついに英仏連合は対独宣戦布告を決定する。
が、我がドイツ軍はそれに先立って既に西方への奇襲的電撃戦を開始していた。
ファール・ゲルプ(黄の場合)作戦 である。


南部の仏独国境地帯はマジノ線と言われる要塞線によって強力に防御されていたので、
ドイツ軍はこれを北方から迂回するように、オランダ・ベルギー・ルクセンブルグへの侵攻を開始する。

作戦としては、グデーリアン将軍率いる第2装甲集団 によってオランダ・ベルギー国境を分断し、
孤立したオランダを殲滅すると共に、戦車部隊はそのままドーバー海峡沿いにフランスに侵攻し、
後追いの歩兵部隊により突破口を拡大していくというもの。
また当然、これらの戦車部隊・歩兵部隊は航空艦隊の爆撃部隊に強力に支援されている。




こんな感じ。
上の計画書は第一級軍機指定である。




9月15日、作戦は概ね計画通りに進行。
第2装甲集団 の先鋒がドーバー海峡に達したところ、オランダの孤立が成立した。
この後、孤立無援状態となったオランダ軍部隊はしぶとく抵抗を続けるも、10月30日にはパウルス将軍の第6軍 によって完全征服される。

機甲戦力と空の砲兵の連携による迅速な突破、侵入、殲滅。
ハインツ・グデーリアン将軍の提唱する電撃戦 を、将軍自らが第2装甲集団 を率いて実践してみせたのだ。




9月23日、アルデンヌ地方のリエージュ要塞とバストーニュにおいて、ベルギー軍凡そ8個師団を包囲する。
この強固な要塞は西方戦役における障害であり、森林地帯と河川を利用した天然の防御壁でもあり、
これを立て篭もるベルギー軍主力部隊と共に包囲状態においたことは作戦的勝利だと誰もが確信していた。


9月28日には早くもリエージュ要塞は陥落。
しかし、否、捨てられたのだ。
この時ベルギー軍司令官は勇敢な決断を下し、部隊を温存したらしい。
ドイツ軍の主力攻撃による圧力から免れたベルギー軍部隊は、バストーニュへと後退していた。

フランス軍の歩兵部隊と自動車化部隊が南部から救援に駆けつけ、
それに呼応したバストーニュのベルギー軍部隊も包囲環の内側から攻勢を実施する。
これにより包囲環の南側に穴が開き、ベルギー軍8個師団は解囲されてしまう。

同時にマジノ線から飛び出してきたフランス軍部隊が後退する包囲部隊への追撃を実施した結果、




10月7日、エヴァルト・フォン・クライスト将軍の第6装甲軍団 が逆に包囲されてしまう。
なんということだ。
1個装甲軍団がまるまる包囲されてしまうとは!

当然、近隣部隊による全力の解囲努力が行われ、第6装甲軍団 には輸送機による
補給物資の空輸作戦も実施されるが、いずれも状況を好転させるには至らなかった。


とうとう第6装甲軍団 の継戦能力が失われたのは10月15日のこと。
このアルデンヌの戦いにおける敗北で、第3SS装甲師団第7装甲師団第10自動車化歩兵師団第12山岳猟兵師団 が失われた。
元々連合国に対して兵力で劣るドイツ軍にとって、この損失は痛恨の極みである。
まだまだ緒戦とはいえ、装甲部隊の再編には時間がかかるだろう。

この重大な結果を招いたクライスト将軍は責任を取らされる形で更迭されてしまうが、
部隊が消滅したので当面の後任は必要ないだろう。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2010-01-08 19:58:52
1get
ゆっきぃの図を描く才能に嫉妬。
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Unknown (Unknown)
2010-01-09 18:17:41
HOI3のレポって99%脳内補完だよね。
返信する
Unknown (ゆっきぃ)
2010-01-12 02:38:49
>>1getのUnknown
俺に作戦図を描かせたら右に出る者はいません。

>>HOI3のレポってのUnknown
それがHoIシリーズの遊びどころだよ。
ふふ。
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