兵器の読み方の個人差

2014-07-29 22:41:33 | 日常の駄文

どうでもいいんだけど
武器や兵器の読み方って難しいよね。
統一されてないというか。

例えばアメリカ軍の制式小銃のM16
これをみんななんて読む?

えむじゅうろく ←普通の人、銃に詳しくない人も含め。俺もこれ。
えむいちろく ←自衛隊風。クラン員のpesくんもこれ。
えむしっくすてぃーん ←アメリカかぶれ。

ただアメリカかぶれ式の人にも言い分があるらしい。
例えばM16を発展させたM16A4とか。
A4は誰でもエーフォーって読むから、えーよんっていう人はあまり見ないから、
エムシックスティーンエーフォーって全部英語読みにした方が統一性がある、ということらしい。
俺みたいなえむじゅうろく派の人は、えむじゅうろくエーフォー、って読むんだけど、
まあ一番言いやすい言い方で言えばいいかなと思う。


ただやっぱり物によるというか、慣用的な読み方がしっくりくるってのがあるよね。
面白いのは、M16小銃を短縮したM4カービン
現代では一番有名な小銃だね。
M4カービンはほとんどの人がエムフォーって読む、
えむよんっていう人は少数派だと思う。

でもこれが第二次世界大戦の戦車の話になると話が違ってくる。
M4シャーマン中戦車
これはえむよんしゃーまんって呼んでる人のほうが多いと思うんだよなあ。
俺もそうなんだけど。
たまにエムフォーシャーマンも聞くけどね。

どっちも同じM4なのにしっくりくる読み方が違う。
これはまさに慣用的な読み方が優先された結果なんだろう。
まあ人によると思うけどね、あくまでもどっちが多いかって話。


でもG36小銃をジーサーティシックスって読む人はあまり見たことないかな。
じーさんろくが多いと思う。
MG42はけっこう分かれる、えむじーよんじゅうにえむじーよんにエムジーフォーティーツーがそれぞれ同じぐらいの割合でいる気がする。
ちなみに俺もこれはけっこう迷うというか、どっちでもよすぎて時によって読み方が変わるけど、
どちらかといえばえむじーよんにが多いかも。

KGBはケージービーよりカーゲーベーのほうがしっくりくるけど、
AKをあえてアーカーって読んでる人はちょっとイラッときて殴りたくなる。
気取ってんじゃねーよ!


あとはあれだ、レオパルト、ルクレルク、シュペルエタンダール辺りも表記が分かれるよね。
俺は一貫して上記表記がカッコイイと思ってるんだけど、
レオパルド、ルクレール、スーパーエタンダールっていう人もいるからね。
まあ外国語の兵器の読み方の統一性ってのはむずかしい。
俺もドイツ戦車のTigerはティーガーって言うけど、ドイツ攻撃ヘリのTigerはタイガーって言うからね。
我ながらなんやねんって思う。

第一次世界大戦について

2014-07-28 17:26:54 | 軍事ネタ

本日7月28日は、第一次世界大戦が開戦して100周年である。
帝国主義時代の壮絶な大戦はどのようにして起きたのか。




1914年6月28日、バルカン半島のサラエボで銃声が鳴り響いた。
視察に訪れていたオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻が暗殺されたのだ。
サラエボは今で言うとボスニアの領域であり、
事件に先立ってオーストリア帝国が併合していた地域だった。
バルカン半島は様々な民族主義が対立している地域で、
小競り合いや火種が絶えなかったことから火薬庫と形容される。

フランツ・フェルディナント皇太子を暗殺したのはセルビア人青年。
大セルビア主義に傾倒していた犯人グループは、
ボスニア地域はセルビアに併合されるべきと考えていたし、
またボスニアの住民もオーストリアによる併合に対して激しく反発していた。

犯人グループは当初はセルビア政府の関与を否定していたものの、
使用機材がセルビア政府から支給されたものであることが発覚すると、
オーストリア帝国はセルビア政府に対し最後通牒を突きつけた。


事件前からオーストリアは隣国セルビアで興隆していた大セルビア主義と、
ロシアがセルビアを支援して南下政策をとっていたことを危険視していた。
1903年にはセルビア国内で親オーストリアの国王夫妻が暗殺され、
親ロシア政権が樹立するというクーデターまで発生していたのだ。

その経緯からオーストリア内の主戦派は、かねてよりセルビアを叩き潰す機会を伺っていたが、
フランツ・フェルディナント皇太子が親セルビア的な方針であったのでその意見は通らなかった。
しかし皇太子自身がセルビア政府の陰謀により暗殺されたことで、
主戦派はセルビアに攻め込む絶好の口実を得たのだ。

オーストリア帝国が突きつけた最後通牒は、
セルビア政府にとって到底受け入れられるものではなかった。
1914年7月28日、ここにオーストリア・セルビア間で戦争が勃発したのである。


当時のヨーロッパではバルカン半島に限らず、
列強国間でもいくつもの火種や小競り合いが起こっていたが、
その度に外交交渉による妥協と譲歩で大事に至らないということが続いていた。
当時の人々の間では、経済的に密接にリンクし合った近代では、
もはや列強国間で大規模な戦争は起こらないものという共通認識があった。
火種があっても経済的損失を恐れてどこの国も妥協と交渉を継続するし、
もし戦争が起こったとしても長期に及ぶ大規模な戦争を継続する国力基盤など、
どこの国にもないものとされていたのだ。

なのでオーストリアが小国セルビアに攻め込んだところで、
これも今までのようにどこかで折り合いがつくだろう、
大規模な戦争が何年も続くなんてもはや昔の話、ましてや総力戦など・・・。


オーストリアは同じ神聖ローマ帝国から生まれた若き国家、ドイツ帝国と同盟を結んでいた。
地理的・歴史的経緯によりドイツとオーストリアは住民も言語も密接に関わり合っていたし、
統一を果たしたばかりといえど1870年の普仏戦争でフランス相手に圧倒的勝利を収めたドイツ帝国を味方につけていれば、
その抑止力により他国の参戦を躊躇させるという意図があったのだ。

しかし現実には、セルビアを支援する立場にあるロシア帝国は動員を開始。
セルビアを通してバルカン半島への影響力を増すという野心があったので、
オーストリアへの脅しの意味を込めての総動員だったのである。
しかしこのロシアの動員が、ロシア自身も思わぬ形でヨーロッパ中に波及してしまう。

ロシアの動員にライバルであるドイツは過敏に反応した。
ドイツは積年の敵国であるフランスとロシアに挟まれている地勢上、
もし開戦した場合はロシアの動員が終わらぬうちに西のフランスを撃破して、
その後に東部に戦力を集中させる各個撃破戦略、シュリーフェン・プランを採用していた。
当時のインフラ環境では動員をかけて戦争準備を整えるのに何週間もの時間がかかるものだったのだ。
二正面作戦を戦いぬくにはこれしかないと信じられていた。
なのでロシアが動員を開始した時点で、ドイツには戦争準備を急ぐ以外の選択肢はなかった。
ロシアの動員が完全に終わらぬうちに、フランスを降伏させなければならない。
バルカン半島ではロシアの南下政策を恐れるオスマントルコ帝国もドイツ側に立って動員を開始した。

また当時のドイツ帝国は拡張政策をとっており、内陸国であるにも関わらず植民地主義に傾倒し、
大英帝国と激しく海軍の建艦競争を繰り広げていて、世界各地でイギリスやフランスと紛争の火種を抱えていた。
そんな情勢下でドイツが動員をかければイギリスとフランスも動員をかけざるを得ない。
またフランスは普仏戦争の敗北による領土の喪失と課せられた莫大な賠償金から、
ドイツ帝国に雪辱を晴らしたいという国民感情に押されてもあった。


つまり・・・当時の人々の間では大規模な戦争はもう起こらないと考えられてはいたが、
サラエボ事件での動員をきっかけに国際情勢を疑心暗鬼が支配してしまった為に、
それぞれが潜在的なライバル国の戦争準備に対して遅れをとるまいと警戒して、
連鎖的な大動員を引き起こしてしまったのだ。
緊張のエスカレーションである。

イギリスはドイツと激しい建艦競争をしながら、
このままエスカレートするといつかは開戦してしまうのではないかと危惧しており、
いくつもの融和と妥協案をドイツに持ちかけて何度も国際会議の場を開いた。
いつものように血を流さぬように戦争の危機を回避しようとしていたが、
そんな矢先、サラエボ事件をきっかけにその全ての外交努力が一気に台無しとなったのである。




あのころ、人々はまだ疑うことを知らなかった。
ロマンに溢れた遠足、荒々しい男らしい冒険・・・。戦争は三週間・・・。
出征すれば息もつかぬうちに、すぐ終わる。大した犠牲を出すこともない・・・。
私たちはこんなふうに、1914年の戦争を単純に思い描いていた。
クリスマスまでには家に帰ってくる。新しい兵士たちは、笑いながら母親に叫んだ。

「クリスマスにまた!」



開戦してからでさえも、人々の間では戦争はすぐに終わるものという楽観論が支配していた。
それがまさか4年も続いた上に、イタリアや日本やアメリカの参戦も招き、
この欧州大戦は後に世界大戦と呼ばれる程の凄惨な戦争となったのである。

第一次世界大戦のことを当時の人は「戦争を終わらせる為の戦争」と呼んでいたらしい。
しかしこの戦争から生じた結果が第二次世界大戦の布石となってしまったのは皮肉である。

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海の日は海水浴場へ

2014-07-24 21:30:57 | リアル日記

7月21日海の日は、海水浴に行ってきました。
和歌山上陸作戦!
Imoutup「今日海にいってたよー。」と報告すると
さも普通に「ひとりで?」とか返してきたが、なわけねーだろ!
彼女と一緒です。

和歌山の海と聞くとみんな
「あ、白浜?」
「その日は俺も白浜行ってましたよ!」

とか言ってくるけど、海の日に白浜とか、
今のハリーポッターの時期にUSJに行くようなもので、
そんな好き好んで自分から人混みに突っ込むようなことはしないね!
もう少し手前の地味な海、片男波という場所。

とは言うものの、
俺はPCゲームブログ業界の中でも海が似合わない男ランキングで毎年けっこう上位に食い込むので、
あまり知らなかったのだけどこの片男波というところは昔から愛された伝統ある海水浴場ではあるらしい。
山登りや運動自体は好きなんだけどね、泳ぐの嫌いなんだよ。




海に入る前に近くのレストランでシーフードランチ。
近くの席の年配グループがギリシャ神話について語ってたので、
それに乗っかって映画トロイについて話し合った。

あのアキレス無双映画。
グラディエーターなど古代を舞台にした戦争映画が好きな人は観るべきである。
ブラピ、エリック・バナ、オーランド・ブルームの3人が共演するとか豪華だよね。
エリック・バナが出る映画は3つしか観たことないけど、
トロイにブラックホーク・ダウン、ミュンヘン、
どれも感じが違ってかっこいいな。

今後はブラピが第二次世界大戦の戦車兵の映画フューリーに出演するらしく、とても楽しみである。
同じ第二次世界大戦映画のイングロリアス・バスターズはとても面白かった。
ブラッドピットは一番好きな俳優なので全作観るのだけど、
最近のジャッキー・コーガン、ワールド・ウォーZ、悪の法則はどれもイマイチだったので、
そろそろ面白い作品に出て挽回して欲しいところ。




彼女と海。
13時ごろはそこそこ人がいたけど、それでも控えめで、
16時を過ぎるとほとんど無人ビーチになってた。
やっぱり白浜よりはだいぶ少ないのかな。

景色を見に海に行くことは何度もあったけど、
まともに海水浴をしたのはいつぶりだろう。
へたしたら10代前半かそれ以前にまで遡りそうなぐらい記憶にない。

ほとんど2人でうきわでプカプカ浮いてただけだけど、
海の中に出っ張ってた岩をおもいっきり蹴ってしまって流血沙汰になったりも。
足がつかないところだったので油断してた。


その後は居酒屋でご飯食べてビール飲んで帰宅。
帰宅中にTwitterpesくんから「Insurgencyやろう。」と呼ばれてたので、
そのままImoutup呼んで3人で戦争ゲームやってたけど、
疲れてたし酔っぱらってたのであまり記憶がない。
ただ当日の様子をなんか動画に撮ってたので、見てみたらぐだぐだだった。
更新ネタがなかったらいつかアップするかもしれない。

M&B日誌(4) プレイ動画をアップ。囚われの王

2014-07-22 17:39:45 | その他歴史系

Mount and Blade、今はやり直してスワディア王国でプレイしています。
いやあ、やっぱ時代は騎士だね。
スワディアは騎士が有名だから。

今日はちょうど100vs100の戦いが生起したので、
M&Bを知らない読者さんにゲームの雰囲気がわかるように2つの戦いの動画を撮影しました。
普通にプレイしてる時にただ撮影しただけだから今日は声無しだけどね!




馬に乗って馬上槍を持って、ランス突撃を主力に戦ってる。
今回は機会がなかったけど、歩兵戦を行うときは腰につけてる手斧で戦うよ。
1つ目の戦いの始めに指揮をミスって部下の騎兵が
敵の騎兵から先制突撃を食らってしまってるけど、
なんとか勝てた。

プレイしてて思ったけど、なんか騎兵同士の戦いって戦闘機のドッグファイトに似てるよね。
グルグル回って後ろを取り合うというか。
空戦を表すドッグファイトという言葉は、
犬同士が戦うときのように戦闘機も相手の背後をとろうとグルグル回ることからで、
様子が同じなので空戦のことを騎兵ファイトとか言い換えてもいいんじゃないか。




大勢を見て思ったのは、スワディアの国王はだめだ。
攻めるべき場所に攻めてくれない、戦争の素人め。
スワディアの地勢は大陸の真ん中に位置するので八方から攻められ、
西に追いやられてもう主要都市はプラヴェンしか残っていない。
このままでは滅亡してしまうと考え、ここは俺が一肌脱いで国土を回復するしかねえ。
なので軍師として俺の意見を戦略に取り入れてもらおうと、
まずは好感度を上げるべく国王のクエストを聞いてこなす。

内容は「敵卿を1人捕らえて投獄させるべし。」
なんだ、戦闘好きの俺に最適な任務じゃないか?
この国王、臣下の得意分野をわかってるな。
意外と戦略眼があるのかも。




ということで敵の軍隊を見つけて、狩り回る。
上のSSの戦いでは地形的に騎兵には向いていなかったので、
馬を降りて白兵戦で戦った。

敵兵が必死に防ごうとしてる盾の上から、
構わずガンガン手斧を振り下ろすのが楽しい。
オラオラ防いでみろよォ!って感じで。
斧は盾破壊に向いてるのであっという間に壊れてしまうのだ。
俺も始めこれにはビビって、「~~~ッッ!防御(うけ)が通用しないッッ!!」とか思ってたけど、
自分がやる側になると気持ち良いもんだ。

白兵の乱戦状態になり、それでも「1つ、2つ!3つ目!」とアムロの数え撃ちのように敵を屠っていくと、
終わる頃には鎧も斧も血染めであった。
ブラッディyukkyという二つ名がついちゃうな。


それで捕らえた敵の卿の名前を見ると、デスピン卿。
あれ、こいつこないだまで味方だったはずだけど。
城のパーティで何回か会ったし、好感度高いし。

ということはこいつ、カーギット国に寝返りやがったな!!
確かにうちの王国はどんどんと領土を喪失し落ち目だが、
そういった時にこそ踏ん張るのが騎士じゃないのか?
どういう大義があって昨日までの仲間に剣を向けられたのか。
色々な事情があるのかもしれないが、しかしちょうどいい。
国王の任務はこの裏切り者を連行して完遂としよう。


さて、プラヴェンに戻ると、どうやら王も遠征中らしい。
が、今はディリム周辺からプラヴェンに向かってる途中とのこと。
うん、ちょうどいいな。
それでは部下の兵たちに酒でもおごりながら王の帰還を待つか。

・・・数日経つが帰ってこない。
おかしいな、ディリムなんてそんなに遠くないぞ。
とっくに戻ってきてても良い。
攻城戦中なのかな?

不安に思って現場近くに向かってみると・・・




敵国都市のナッラに捕虜としてハルラウス王の名前があった。
お、王ォォォ~~~~!?!?!?
捕まってんじゃねーかばかやろう!!
せめて俺のクエストの報告を聞いて好感度を上げやがれこのやろう!!
しかし王は200人か300人ぐらいの兵隊を伴ってたと思うんだけど、
これを打ち破って捕らえるとは、カーギット国は精強だな・・・。

それでナッラを陥落させ王を救出する為に、
周辺のカーギット軍を狩り回って少しでも数を減らそうと頑張った。
その戦いが上にあげた動画なのである。
王救出の為の漸減作戦だったのだ。
とりあえず上の動画で200人は殺せたが、
焼け石に水みたいなものだ。


いやあ、しかし国王が捕まってしまうとは。
これで俺の戦略を聞き入れてくれる人もいなくなった。
うちの国、これはもうだめかもわからんね。
俺もデスピンみたいに他国に移るべきか?

M&B日誌(3) 防城戦は地獄の釜の如く

2014-07-21 09:08:15 | その他歴史系

Mount and Bladeが楽しい。
買ってから一週間でプレイ時間が50時間を突破。
うむ、いつかクラン員のpesくんに、
「ゆっきょんはゲームにハマると合宿かってぐらい一時期にやり込むよね。」
と言われたけども当たっているのかも。

最近M&BかInsurgencyかEU4しかやってないな。




またもスワディアと開戦。
数百人クラスの規模の戦いに遭遇するとテンション上がるよね。
あと野盗と違って正規軍は動き方も違うのね。
ちゃんとラインを組んでるというか、まず遠隔射撃の射ち合いから始まり、
突撃までタイミングを置くことが多いね。

アーチャー同士の射ち合いの下を掻い潜り、互いの歩兵同士が接近する。
一番血肉沸き踊るタイミング!
暴れてやるぜうおおお的な。

しかし油断するとまず矢や投げ物に殺されるし、ようやく白兵戦に取り付けても、
合戦の端っこにいるとどこからともなく走ってきた騎兵のランス突撃に串刺しにされる。
かといって騎兵が来れない歩兵集団のどまんなかで斬り合ってると四方八方から攻撃が来るし、
混雑で動けないし、立ち回りは悩みものだ。
でも個人的にはやっぱり歩兵の団体同士で、
もみくちゃしてるとこに突撃するのが一番楽しい。




城の防衛戦にも初参加。
我らの元帥に行動を共にしろと言われ、
それで一合戦後にこの城で休息していたところ、
敵の第二陣が攻めこんできたのが発端である。
夜襲だ!!

我が方は300人が詰めているが、敵方は900人。
3倍差か・・・攻者三倍の法則で攻めてきたな。

それでこのゲームの攻城戦は侵入路が限定されてるので、敵も味方もその地点に殺到し前線は大混雑、
身動きとれなさそうなので戦況が動くまで後方で傍観に徹してるのが上のSSである。

前線では剣で斬り合う音や悲鳴が聞こえるも、全く動かない。
暇なので2ch見ながらおやつとか食べて、15分後に画面を見ても上のままであった。
うーむ、攻城戦とは退屈なり。


しかし次第に我が方が押され始め、やがて敵の一部が突破に成功するともう話は早い。
緒戦ではログを見ると圧倒的なキルレートだったので、1人3殺ぐらいはしてそうなので勝てるかもと思ったが、
有利な陣形が崩れるとそう甘い話ではなくなり、数に押されて殲滅されてしまった。
死屍累々である。

結局終わってみれば、こちらは300人が死傷したのに対して敵軍の被害は760人ほど。
まあ頑張ったとはいえるか。
しかしせっかく育てた兵士がまた大量に死んで・・・戦争とはすり減るものだなあ。




いやあ、M&Bにハマって中世欧州の勉強をしようとまた本を発注してしまった。
去年CK2やEU4やChivalryにハマってた時も中世欧州の本をたくさん買って読んでたし、
どうも最近は近代や現代戦よりも中世史の勉強の方をたくさんしてる気がする。
ゲームなどで詳しくない時代をプレイするとまず時代背景を勉強する癖があるから。

まあWW1以降の近現代戦のお勉強は今まで十何年もやってきたし、
年をとったせいかもしくは自分にとって新しいジャンルだからか、
現代に比べれば地味な中世の戦いの方が面白いような気はするね。

ユニットの性能は違えど性質自体は同じだし。
弓兵は砲兵、騎兵は戦車に置き換えれば戦術的な原則は変わらない。
ただ中世から近世の歩兵は一箇所に集中した方が強かったが、
榴弾の命中率の向上と機関銃の登場で、散兵式に変わったこととか、
兵器の発達による戦術の変遷、また兵器を発達させた時代背景など、
やっぱり歴史の流れは学ぶと面白いなと思う。


M&Bは史実MODもあるようで。
やっぱり歴史的な舞台で戦いたいので、
そろそろそっちにも手を出していきたい。