ピーナッツの唄

毎日の出来事や、スポーツ観戦、読書や映画等の感想を中心に、好奇心旺盛に書いています。

飽食と美食は止められるか?

2008-02-22 17:49:07 | 独り言
わが国の食料自給率は39%までに低下している。今後の農業をどう振興していくのか?。「グルメ」や「メタボリックシンドローム」という言葉が、大手を振っている、この満ち足りた時代を我々国民は生きているのだ。
米の消費量が減って農家の方は、米価の下落に痛手を蒙っている。味や好みを考えずに、単に腹を満たすための食事を取る人が少なくなっているのが、大きな原因だと思われる。

郷里山形の実家の隣村生まれで、終生その村で暮らした方で「結城哀草果」氏がおられた。やはり近郷で生まれ育った歌人の「齋藤茂吉」氏のお弟子さんとしても有名な歌人だった。小生が結城先生の名を知っているのは、実は郷里の中学校の校歌の作詞を手掛けて頂いていたことにもよる。
そしてこの結城先生が詠んだ1935年の作品に、多くの国民の貧窮ぶりをあらわす作品が見られる。
「五百戸の村をしらべて常食に 白米食うが十戸ありやなし」「食物は味わうよりも腹ふさぐ 糧とぞおもうかりそめならず」「雪ふりし山にのぼりて草根ほり 木の実をひろふ獣のごとく」
小生が生まれるわずか数年前の、軍備費の増強で大幅な農業予算が削られて、農村の多くが疲弊に喘いでいたさまが見られた。その後の時代に、日本は第二次世界大戦に突入、そして敗戦後に長く続いた食料難の時代があった。

それから70年余が過ぎて食料事情は大きく変わっている。しかし米価が下がり、逆に原油の高騰がビニールハウスの暖房代や肥料の値段を押し上げている。農家の多くがその影響を受けつつある。
国民が飽食や美食と縁が切れれば自給率を上げることは可能だとの説もある。我々の世代が長らく耐えてきた「ひもじさ」を知らない世代が果たしてこれに耐えることができるだろうか?

食品の多くを輸入に頼る、この時代にこそ農業を考え自給率を上げる方策が求められる。飽食と美食を我慢してだ。

(この記事の書き込みは2/17付け読売新聞の編集手帳を参考にさせて頂きました)
コメント (4)
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