夕張鹿鳴館(旧・北炭鹿ノ谷倶楽部)を見学。
北炭(北海道炭鉱汽船)が迎賓用に作った施設だそうで、昭和天皇の夕張訪問の際に御座所として使われた。
夕張鹿鳴館の意外な見所は、建物や調度品だけではなく、館内のあちらこちらに置いてある電気器具類だ。
御座所や、応接室においてあるストーブは、相当の年代物で、一体いつごろのものなのか見当が付かない。
冬場にこのストーブだけではとても暖房の用には役に立たなかったのではないか思われるが、石炭を焚くほどではないが朝晩がちょっと冷え込むという時期に使ったものかもしれない。
「VICTOR」のテレビは、テレビ放送最初期のものであると思われる。グランドピアノの形をした電気蓄音機やラジオも、戦前のものか、あるいは戦後すぐのものだろう。
このラジオには目盛のところに世界の主要都市の名前が刻んである。どういう用途でこの目盛を使ったのだろうか。
北炭(北海道炭鉱汽船)が迎賓用に作った施設だそうで、昭和天皇の夕張訪問の際に御座所として使われた。
夕張鹿鳴館の意外な見所は、建物や調度品だけではなく、館内のあちらこちらに置いてある電気器具類だ。
御座所や、応接室においてあるストーブは、相当の年代物で、一体いつごろのものなのか見当が付かない。
冬場にこのストーブだけではとても暖房の用には役に立たなかったのではないか思われるが、石炭を焚くほどではないが朝晩がちょっと冷え込むという時期に使ったものかもしれない。
「VICTOR」のテレビは、テレビ放送最初期のものであると思われる。グランドピアノの形をした電気蓄音機やラジオも、戦前のものか、あるいは戦後すぐのものだろう。
このラジオには目盛のところに世界の主要都市の名前が刻んである。どういう用途でこの目盛を使ったのだろうか。
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