8月22日・23にかけて、熊本大学のO先生ご夫妻と芦北へ旅行。
O先生ご夫妻との旅行も、今回で4回目になった。1回目は呼子、2回目は日田、3回目は阿蘇で、今回は芦北である。
12:00に御船インターチェンジで待ち合わせをして、まず甲佐の簗場で鮎の昼食。鮎の刺身、塩焼き、鮎飯。鮎飯が特に旨かった。
外は猛暑だが、簗場のあたりは涼しい。
宿は、昇陽館というホテル。建物は古かったが、温泉が充実しており、特に露天風呂からの水俣湾と対岸の天草の眺めが絶景であった。
夕食も御馳走尽くし。
翌日は福田農場で葡萄狩りと昼食。昼食はスペイン料理のレストランで摂った。
その後、通潤橋を見に行く。小学生の時に行って以来なので、およそ30年ぶりということになるだろう。
幸いにも臨時放水のときに行き当たり、豪快な放水の様子を実際に見ることができた。
O先生ご夫妻との旅行も、今回で4回目になった。1回目は呼子、2回目は日田、3回目は阿蘇で、今回は芦北である。
12:00に御船インターチェンジで待ち合わせをして、まず甲佐の簗場で鮎の昼食。鮎の刺身、塩焼き、鮎飯。鮎飯が特に旨かった。
外は猛暑だが、簗場のあたりは涼しい。
宿は、昇陽館というホテル。建物は古かったが、温泉が充実しており、特に露天風呂からの水俣湾と対岸の天草の眺めが絶景であった。
夕食も御馳走尽くし。
翌日は福田農場で葡萄狩りと昼食。昼食はスペイン料理のレストランで摂った。
その後、通潤橋を見に行く。小学生の時に行って以来なので、およそ30年ぶりということになるだろう。
幸いにも臨時放水のときに行き当たり、豪快な放水の様子を実際に見ることができた。
アジア女性交流研究フォーラム アジア研究者ネットワーク主催で、下記のシンポジウムが開催されます。
1 開催日時 平成21年9月13日(日) 13:00~16:30
2 開催場所 北九州市立男女共同参画センター・ムーブ
5階小セミナールーム、1階交流広場
3 プログラム シンポジウム 13:00~15:30
サイドイベント 14:00~16:30
13:00~15:30 シンポジウム(“ムーブ”5階小セミナールーム)
パネリスト 塚本 薫子氏(地元女性農業者)
田原 幸子氏(グリーンコープ生活協同組合ふくおか理事長)
大石 紀代子氏(北九州市食生活改善推進員協議会会長)
キョン ジャ ミン氏(元韓国忠清南道女性政策開発院研究員)
コーディネーター 篠崎 正美((財)アジア女性交流・研究フォーラム主席研究員)
14:00~16:30 サイドイベント(“ムーブ”1階交流広場)
減農薬野菜・果物の販売(天候による)
フェアトレードのコーヒーの紹介
韓国料理(チヂミ)の試食 などを予定
4 参加者 定員60名(参加費無料)
※くわしくは、下記のチラシをご覧下さい。
http://www.kfaw.or.jp/event/pdf/research%202009.9.13.pdf
1 開催日時 平成21年9月13日(日) 13:00~16:30
2 開催場所 北九州市立男女共同参画センター・ムーブ
5階小セミナールーム、1階交流広場
3 プログラム シンポジウム 13:00~15:30
サイドイベント 14:00~16:30
13:00~15:30 シンポジウム(“ムーブ”5階小セミナールーム)
パネリスト 塚本 薫子氏(地元女性農業者)
田原 幸子氏(グリーンコープ生活協同組合ふくおか理事長)
大石 紀代子氏(北九州市食生活改善推進員協議会会長)
キョン ジャ ミン氏(元韓国忠清南道女性政策開発院研究員)
コーディネーター 篠崎 正美((財)アジア女性交流・研究フォーラム主席研究員)
14:00~16:30 サイドイベント(“ムーブ”1階交流広場)
減農薬野菜・果物の販売(天候による)
フェアトレードのコーヒーの紹介
韓国料理(チヂミ)の試食 などを予定
4 参加者 定員60名(参加費無料)
※くわしくは、下記のチラシをご覧下さい。
http://www.kfaw.or.jp/event/pdf/research%202009.9.13.pdf
防衛省福岡地方協力本部に招待していただき、哨戒機P3Cの体験搭乗へ。今回の体験搭乗のメンバーは、福岡県内の大学関係者が中心。
P3Cは現在「ソマリア沖・アデン湾における海賊対処」のため派遣されている飛行機である。
11:00に地方協力本部に集合し、マイクロバスで熊本空港そばの高遊原分屯地へ。ここでフライトの簡単な説明を受けた。
機長は海上自衛隊の幹部自衛官。機長の説明は非常にユーモアあふれるもので、「どこか行きたいところがありましたら早めに知らせて下さい。できるだけその上を飛べるようにしますから」とリクエストを募ってくれたりした。
その後に搭乗。コックピットの中に案内していただいた。
予定では20分のフライトだったが、結局1時間近いフライトで、その間に偵察・海賊対処行動のための飛行方法のデモンストレーションもあり、非常に充実した内容だった。
P3Cの搭乗口は、民間機のような翼の前方ではなく後方にあり、後ろから乗り込む。
偵察行動のための飛行方法のデモンストレーション。
写真ではわかりにくいが、急降下した後、大きなバンクを取りながら翼の先端が海面に触れそうなぐらいまでぎりぎりまで低空で飛行し、この間に写真を撮ったりして偵察行動をするらしい。その後、逆の方向に大きなバンクを取りながら急上昇。偵察相手の艦船から砲撃されるのを避けるためだろう。なにしろ「海賊」船がバズーカ砲や機関銃などで武装している時代なのだから・・・。
着陸寸前。
3Cはもともとロッキード・エレクトラが母体になっている機体で純粋な軍用機ではないので、フラップの動作音などが機内にあまり進入してこなかったのが印象的だった。機内も民間機並に静かで、広々としていた。
体験搭乗の参加者の写真を撮ったり、大忙しの防衛省福岡地方協力本部募集課Wさん。
P3Cは現在「ソマリア沖・アデン湾における海賊対処」のため派遣されている飛行機である。
11:00に地方協力本部に集合し、マイクロバスで熊本空港そばの高遊原分屯地へ。ここでフライトの簡単な説明を受けた。
機長は海上自衛隊の幹部自衛官。機長の説明は非常にユーモアあふれるもので、「どこか行きたいところがありましたら早めに知らせて下さい。できるだけその上を飛べるようにしますから」とリクエストを募ってくれたりした。
その後に搭乗。コックピットの中に案内していただいた。
予定では20分のフライトだったが、結局1時間近いフライトで、その間に偵察・海賊対処行動のための飛行方法のデモンストレーションもあり、非常に充実した内容だった。
P3Cの搭乗口は、民間機のような翼の前方ではなく後方にあり、後ろから乗り込む。
偵察行動のための飛行方法のデモンストレーション。
写真ではわかりにくいが、急降下した後、大きなバンクを取りながら翼の先端が海面に触れそうなぐらいまでぎりぎりまで低空で飛行し、この間に写真を撮ったりして偵察行動をするらしい。その後、逆の方向に大きなバンクを取りながら急上昇。偵察相手の艦船から砲撃されるのを避けるためだろう。なにしろ「海賊」船がバズーカ砲や機関銃などで武装している時代なのだから・・・。
着陸寸前。
3Cはもともとロッキード・エレクトラが母体になっている機体で純粋な軍用機ではないので、フラップの動作音などが機内にあまり進入してこなかったのが印象的だった。機内も民間機並に静かで、広々としていた。
体験搭乗の参加者の写真を撮ったり、大忙しの防衛省福岡地方協力本部募集課Wさん。
九州国際大学に韓国から留学していた卒業生で、現在はichihana korea という日本酒の輸入会社をソウルで営んでいる黄晶顯さんが、日本酒と日本食のレストランをソウル市内で来月1日にオープンさせることになった。
場所は、徳寿宮の裏手にあるソウル歴史博物館の隣。庭から、博物館が見える。
建物は戦前に建てられた二階建て一軒家の日本家屋の内装を改装したものである。植民地時代に建てられた日本家屋でソウル市内に現存するものはほとんど無く、建物自体も貴重なものである。
現在、来月1日のオープンに向けて突貫工事で内装工事中であるが、工事のために天井板をはがしている。梁が見えているが、二階の座敷の梁には、上棟式の札が残っていた。昭和9年1月上棟で、「専売局官舎」とある。植民地時代の官舎だったようである。
黄さんは八女市の「喜多屋」の日本酒を輸入しており、喜多屋の社長の了解を得て、店の名前を「囲炉裏端喜多屋」にすることを考えているそうだ。
メニューは、昼時には15000ウォン程度のランチを提供し、夜は座敷では50000ウォンからのコースを用意するほか、掘りごたつの日本の居酒屋スタイルのスペースも店内に併設し気軽に単品も注文できるようにする予定であるという。料理長はウェスティン朝鮮ホテルほかで料理長を経験した日本人で、刺身や寿司といったありきたりの日本食ではなく、本格的な懐石料理の注文にも応じるそうだ。また土曜日や日曜日には家族連れ向けのサービスも予定しているそうだ。
ロッテホテル、コリアナホテル、ソウルプラザなどの市庁そばのホテルからは歩いて10分ほどという絶好のロケーションで、観光客にも人気が出るのではないと思う。
留学生の卒業生が母国で活躍しているのを見るのは、嬉しいものである。
上:改装中の室内を案内してくれる黄さん
場所は、徳寿宮の裏手にあるソウル歴史博物館の隣。庭から、博物館が見える。
建物は戦前に建てられた二階建て一軒家の日本家屋の内装を改装したものである。植民地時代に建てられた日本家屋でソウル市内に現存するものはほとんど無く、建物自体も貴重なものである。
現在、来月1日のオープンに向けて突貫工事で内装工事中であるが、工事のために天井板をはがしている。梁が見えているが、二階の座敷の梁には、上棟式の札が残っていた。昭和9年1月上棟で、「専売局官舎」とある。植民地時代の官舎だったようである。
黄さんは八女市の「喜多屋」の日本酒を輸入しており、喜多屋の社長の了解を得て、店の名前を「囲炉裏端喜多屋」にすることを考えているそうだ。
メニューは、昼時には15000ウォン程度のランチを提供し、夜は座敷では50000ウォンからのコースを用意するほか、掘りごたつの日本の居酒屋スタイルのスペースも店内に併設し気軽に単品も注文できるようにする予定であるという。料理長はウェスティン朝鮮ホテルほかで料理長を経験した日本人で、刺身や寿司といったありきたりの日本食ではなく、本格的な懐石料理の注文にも応じるそうだ。また土曜日や日曜日には家族連れ向けのサービスも予定しているそうだ。
ロッテホテル、コリアナホテル、ソウルプラザなどの市庁そばのホテルからは歩いて10分ほどという絶好のロケーションで、観光客にも人気が出るのではないと思う。
留学生の卒業生が母国で活躍しているのを見るのは、嬉しいものである。
上:改装中の室内を案内してくれる黄さん
11:30から小倉駅で甲子園出場が決まった九州国際大学付属高校野球部の出発式。
式には、北橋健治市長にも出席していただき、選手を激励していただいた。
その後、門司港に移動して、護衛艦「おおすみ」の一般公開を見学。
福岡地方協力本部の方に艦内を案内していただく。いつもお世話になっている募集班のWさんがいろいろと説明してくれた。
輸送艦なので艦内は広々としていて、後部に登載されているホーバークラフトが目新しい。ホーバークラフトに荷物や車両を積んでそのまま陸揚げできるようになっているのだという。
その後、宿泊体験に参加する学生の見送り。
宿泊体験に使用される部屋も見学したが、宿泊用の部屋は、空調も効いていた。
3段ベッドがずらりと並んでいて、なかなか壮観である。
ベッドを見ていて、子どもの頃に乗った寝台列車の車内を思い出した。父親の転勤が多く、年末年始は寝台列車に乗って父方の実家のある横浜に帰省していたのである。飛行機を利用することもあったが、地方空港の主役はまだYS-11だった。はじめて全日空のトライスターに乗ったとき、映画館のように機内が広いので驚いたものである。
そういえば、父親が車の運転免許を持っていなかったので我が家にはマイカーが無く、タクシーにもめったに乗せてもらえなかったので、子どもの頃は、タクシー運転手というのがあこがれの仕事の一つであった。飛行場の管制官になりたかった時期もあった。
子どものころには、とにかく乗りものに関係する仕事につきたかったのである。ただし、鉄道関係にはほとんど興味がなかった。鉄道に興味が湧かなかったのは、「自分で動かせない」というところが理由なのではないかと思っている。もちろんトライスターも自分では操縦できないが、免許さえ取得すれば、そして相応の費用を投じれば、アマチュアでも軽飛行機程度なら操縦可能だろう。むろん、車というのは自分で動かすという点に関しては手頃な乗りものである。
今回の護衛艦の一般公開では、寝台列車のことから子どものころの夢にまで追想が浮かんだ。いかなる星の下の巡り合わせか、およそ乗りものとは縁遠い仕事をするようになってしまったのだが・・・。
式には、北橋健治市長にも出席していただき、選手を激励していただいた。
その後、門司港に移動して、護衛艦「おおすみ」の一般公開を見学。
福岡地方協力本部の方に艦内を案内していただく。いつもお世話になっている募集班のWさんがいろいろと説明してくれた。
輸送艦なので艦内は広々としていて、後部に登載されているホーバークラフトが目新しい。ホーバークラフトに荷物や車両を積んでそのまま陸揚げできるようになっているのだという。
その後、宿泊体験に参加する学生の見送り。
宿泊体験に使用される部屋も見学したが、宿泊用の部屋は、空調も効いていた。
3段ベッドがずらりと並んでいて、なかなか壮観である。
ベッドを見ていて、子どもの頃に乗った寝台列車の車内を思い出した。父親の転勤が多く、年末年始は寝台列車に乗って父方の実家のある横浜に帰省していたのである。飛行機を利用することもあったが、地方空港の主役はまだYS-11だった。はじめて全日空のトライスターに乗ったとき、映画館のように機内が広いので驚いたものである。
そういえば、父親が車の運転免許を持っていなかったので我が家にはマイカーが無く、タクシーにもめったに乗せてもらえなかったので、子どもの頃は、タクシー運転手というのがあこがれの仕事の一つであった。飛行場の管制官になりたかった時期もあった。
子どものころには、とにかく乗りものに関係する仕事につきたかったのである。ただし、鉄道関係にはほとんど興味がなかった。鉄道に興味が湧かなかったのは、「自分で動かせない」というところが理由なのではないかと思っている。もちろんトライスターも自分では操縦できないが、免許さえ取得すれば、そして相応の費用を投じれば、アマチュアでも軽飛行機程度なら操縦可能だろう。むろん、車というのは自分で動かすという点に関しては手頃な乗りものである。
今回の護衛艦の一般公開では、寝台列車のことから子どものころの夢にまで追想が浮かんだ。いかなる星の下の巡り合わせか、およそ乗りものとは縁遠い仕事をするようになってしまったのだが・・・。