Harumichi Yuasa's Blog

雑記帳Blog版
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八女・福島

2018年03月21日 | 自治体
先日、福岡県八女市の福島地区を散策しました。
福岡県の八女市は、八女茶で有名なところですが、「日本一」が2つあります。
一つは、八女市の伝統工芸である仏具や仏壇の制作技術を活かした日本一の大きさの仏壇。



もう一つは特産の八女石を使った石灯籠で、これも日本一の大きさとのこと。





福島地区は必ずしも賑わってはいませんが、川越のような観光地として発展する余地はあるように思いました。
日本酒の蔵元である喜多屋も、ここにあります。






ところで今回の旅の足は福岡空港で借りたレンタカーのマークXで、まだ1000キロも走っていない新車でした。



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2003年の瀬谷駅

2017年10月28日 | 自治体
2003年の瀬谷駅の様子を映した写真がまたハードディスクの中から出てきた。
新しい駅舎の工事の最中の写真である。



橋上駅舎から北口に降りる新しい階段の工事中。



この後、この木造跨線橋は取り壊された。
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消えて行く商店街

2017年01月07日 | 自治体
日本各地で、駅前の商店街の店が次々に閉まってシャッター通りになっていくという現象が生じています。
瀬谷駅周辺では、閉じた店が取り壊されて商店街の中に空き地ができ、まるですきっ歯のような状態になったあと、アーケードも取り壊されて商店街自体が消えていくというのが現状です。跡地には、普通の住宅やマンションが建ち、やがてそこに商店街があったということも忘れ去られていくのでしょう。

橋戸原住宅の近くにも、小さな商店街(マーケット)があり、ごく短いものでしたが、アーケードもありました。
アーケードが撤去された跡も、豆腐を自分のところで作って売る店だけが残っていましたが、ここも閉まってしまいました。コンクリートの私道が、アーケードの跡をとどめています。





その近くで、「金物荒物陶磁器なぎさや」という店を見つけました。
このお店が、まさに「よろずや」で、何でも置いているので驚きます。正月用の重箱や屠蘇器が何種類も置いてあるほか、居酒屋などでよく見かける小さな焜炉、松茸の土瓶蒸しに使う土瓶から、本格的な火鉢まで何種類も置いてあります。
ステンレスの湯たんぽ、金盥、漬け物用の陶器の甕など、最近はあまり見かけなくなった品物も揃えてありました。

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更地になった瀬谷駅前の名店街アーケード跡

2016年09月04日 | 自治体
これまでに何度か書いた瀬谷駅前の名店街アーケード。
ついに、その残滓も取り壊されてしまい、更地になった。



ここに、こういうアーケードがあったのである。
上の写真の左側に写っているコンクリート舗装の道が、かつてのアーケードの通路。

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瀬谷駅前名店街の取り壊し

2016年07月30日 | 自治体
瀬谷駅前にあった名店街アーケードの取り壊しについては、これまでも2回ほど書いた。

http://blog.goo.ne.jp/yuasah1970/e/07c106d467b593f7404cc274168bbdd4

http://blog.goo.ne.jp/yuasah1970/e/d52fa68241486b73b2a2a247ae5a0999

いよいよ、南北に延びていたアーケードの南側半分の残滓が、命旦夕に迫ってきた。



木造の建物はすでに取り壊されてしまい、鉄筋コンクリートのビルの取り壊しが始まっている。跡地には何ができるのだろうか。

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渡辺医院の取り壊し

2016年07月03日 | 自治体
瀬谷駅の近くに渡辺医院というかなり大きな建物の医院があり、年配の先生が一人で診察していたが、先日通りかかったら、取り壊されているところだった。
息子さんが別のところで開業しているという話を聞いたことがある。

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瀬谷駅前名店街のアーケード

2016年06月20日 | 自治体
しばらく前のブログで、瀬谷駅前名店街のアーケードの南半分が取り壊され、アーケードの両側に残ったビルのうち、片側のビルが取り壊されて跡地にスポーツクラブが建った件について書いた。
http://blog.goo.ne.jp/yuasah1970/e/07c106d467b593f7404cc274168bbdd4

元・アーケードの片側に残っていた、もう1つの雑居ビルも、いよいよ取り壊されることになったようだ。



そうすると、いよいよ名店街は、北側半分のビルの1階を貫通している部分だけになってしまう。
名店街と横丁通りが交差する角にある「三十一番」は、今回は取り壊しを免れた様子。

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道成寺

2016年05月23日 | 自治体
先日、南紀白浜で開催されたサイバー犯罪に関する白浜シンポジウムに参加した際、空き時間に道成寺を訪れた。







奈良時代の創建と伝えられる道成寺の境内はさほど広くなかったが、参道の階段を上がった先に山門があり、室町時代に建てられた本堂や三重塔などがある。本堂の前の池には蓮の花が咲き、オタマジャクシが泳いでいた。
本尊の千手観音(国宝)は、コンクリート造りの宝物殿の中に鎮座している。
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2003年6月の瀬谷駅南口

2016年05月01日 | 自治体
2003年6月の瀬谷駅南口が写っている写真が出てきたので、昨日に続いてアップロードしておこうと思う。





これは改札口の様子で、工事が始まったので、改札口の左側にあった蕎麦屋はもう店を閉めている。



跨線橋の中の様子。こうして見ると、瀬谷駅の跨線橋は、木造だったようだ。



瀬谷駅の北口付近を、大和寄りから撮影したもの。南口には、相鉄ローゼンもあったことを思い出した。今、同じ場所にはドラッグストアが建っている。



改札口の前のビルには、「オリジン弁当」が入っていた。今、同じ場所は「らあめん花月嵐 瀬谷南口店」というラーメン店になっている。
オリジン弁当はその後、北口に引っ越し、「瀬谷店」になった。



上の写真は、2003年11月に撮影したもの。
瀬谷駅南口から歩いてすぎのところにあった静岡銀行の瀬谷支店が閉店になったときの様子。
建物は取り壊され、跡地は駐車場になっている。
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2002~2003年頃の瀬谷駅南口

2016年04月30日 | 自治体
ハードディスクの写真を整理していたら、10年ほど前の瀬谷駅の南口の様子が写っているものが出てきた。



これは2002年8月の様子。
改札口の右側には花屋と喫茶店があり、左側には立ち食い蕎麦屋があった。外側からもホーム側からも行けるような構造になっていたように記憶するが・・・。



これは海老名方面行きのホームから、海老名側を写した様子。当時は、改札のすぐ前が海老名方面行きのホームになっており、横浜行きのホームに行くには跨線橋を渡る必要があった。逆に北口改札口からは、横浜方面に行くにも海老名方面に行くにも跨線橋を通らなければならないような構造になっていた。




これは、2003年10月の様子。
橋上駅舎の新築工事が始まっているところ。



同じく2003年10月の瀬谷駅の様子。橋上駅舎の骨組みがほぼ完成している。

再開発が始まると、瀬谷駅の南口も様変わりすることだろう。
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北九州市の学会開催支援

2016年01月09日 | 自治体
昨日は、北九州市MICE倶楽部交流会に出席しました。



2015年6月、北九州市は、観光庁から「グローバルMICE強化都市」に選定されました。MICEというのは、Meeting(会議・研修)、Incentive(招待旅行)、Conference(国際会議・学術会議)またはConvention、Exhibition(展示会)またはEventの4つの頭文字を合わせた言葉だそうです。
最近、地方都市では学会や研究大会などの誘致に熱心ですが、誘致のため、北九州市も、さまざまな助成制度を設けています。
北九州市の開催助成金は最高額1000万円で、助成対象は、参加者のべ100人以上かつ宿泊者のべ50名以上となっており、開催総経費の30パーセントを上限として助成金が支給されます。
実際に大会実行委員長として助成を受けた経験から、北九州市で学会を開催するメリットを挙げておきたいと思います。

宿泊場所が安定して確保できること
最近は中国等からの観光客の増加その他の理由でホテル代が高騰しており、さらにコンサート等と日程が重複してしまうと、全くホテルが取れないということも少なくありません。
九州の場合、福岡市(博多)がそれにあたり、ジャニーズのコンサート期間中などはほとんどホテルが取れない、というような状態になります。
これに対して比較的に北九州市(小倉、黒崎等)は、よほど大きなスポーツのイベントと重複しない限り、ホテルが取れないというような状態になることは少ないと思います。

文系の学会でも助成が受けられること
北九州市の助成の条件は、参加者のべ100人以上かつ宿泊者のべ50名以上という条件ですから、小規模な人文社会科学系の学会でも、助成を受けることが可能です。

コンベンションバッグが無料であること
他の自治体でもコンベンションバッグは提供してくれますが、1枚50円、100円程度の費用がかかる場合が多いようです。
北九州市の場合は、無料で提供してくれます。

詳細は、こちらをご覧ください。
http://convention-a.jp/support/josei/
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貝塚公園のヘロン

2015年08月21日 | 自治体
先日の朝、貝塚公園の門が開いていたので、園内に展示されているデ・ハビランド「ヘロン」の写真を撮った。
貝塚公園に保存されているヘロンは、富士航空、日本国内航空で使われていた機体。
定期的に機体の再塗装などが行われており、屋外展示のわりには保存状態は良好であるが、この場所に展示してから50年近くがたっており、さすがに傷みが激しくなっているように思われる。







リアのドアがきちんと閉まらなくなって、すき間ができている。すき間から、機内の座席や網棚、スピーカーなどが見える。
ここから機内にかなり風雨が侵入しているのではないだろうか。



この写真を見ると、以前は機内も見学できるようになっていたようだ。
http://flyteam.jp/photo/865649
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託麻原探訪

2015年05月17日 | 自治体
熊本で開かれた学会の合間に、30年以上前に住んだことのある旧宅のあたりを探訪した。



半年だけ住んだ大江の家の跡。現在も一軒だけ家が残っているが、その右隣に平屋建ての家があって、そこに住んでいた。Googleの地図で見ると、三角形の空き地のようなものがあるが、そこには当時、火の見櫓が建っていた。上の写真では大きな木が生えているところである。なぜこんなところに火の見櫓があったのかは分からない。

家の後ろには合同庁舎が建っているが、当時すでに合同庁舎を建設する予定が決まっており、あたりは空き地になっていた。ラジコンで遊ぶのには格好の場所で、親戚に買ってもらったティレル・フォードの六輪車のラジコンをここで走らせた。
当時通ったのは大江小学校だが、あまりこの学校のことは記憶に残っていない。

その後に引っ越した渡鹿の家の最寄りバス停は、託麻原本通り。



今となってはあまり広い道ではないが、当時はこの道が本通りだったのである。今は産業道路に交通の主役を奪われているようだが、産交バスがまだ通っている。当時、産交バスは古くなった観光バスを格下げして路線バスに投入していたが、バスを待っていて、この観光バスのお下がりが見えてくると、嬉しくなったものだった。当時は路線バスは冷房化されていない車のほうが多かったのだが、観光バスのお下がりはすべて冷房車で、格段に涼しかったのである。
託麻原から大江のほうに自転車で行くときは、熊本商大のキャンパスの中を通って近道をしたが、商大は今は熊本学園大学となり、熊本の一大私立総合大学となっている。
この託麻原通り沿いに渡鹿マーケットがあったが、いまも健在で、名前も渡鹿マーケットのままだった。



託麻原通りからちょっと入ったところに、託麻原小学校の裏門がある。



渡鹿の家に引っ越して、託麻原小学校に転入することになった。このあたりは道が狭く、マンションが建てられないようで、今も一軒家が多い。この静かな住宅街で、あの託麻原殺人事件が起こったとは、ちょっと信じがたい。
私は裏門から学校に出入りしていた。グランドはもっと広かったような記憶があるが、子どもの目には広く見えていたのであろう。
そして、裏門側と渡鹿マーケットの間には、団地があったように記憶するのだが、更地になっていた。この更地が団地の跡だろうか。



裏門とは反対側に託麻原小学校の正門がある。
正門側は、わりと大きな家が多い住宅地だったが、それは今も変わっていない。友達の家も近くにあったはずだが、場所を思い出すことができなかった。
託麻原通り側に戻り、産業道路のほうに向かって歩いて行くと、渡鹿公園がある。夏休みにラジオ体操をしたところである。かなり大きな公園だった記憶があるが、野球グランドもあったことは忘れていた。



この渡鹿公園の近くに、梅林があった。このあたりは戦前は陸軍の歩兵第13連隊があったところで、現在は門だけが残されている。



梅林の中に、工兵が訓練のために建てたという煉瓦の橋があった。そして、陸軍時代の兵舎が1軒だけ梅林の中に残されていて、そこを改装して、老人が住んでいた。どうしてそういう関係になったのかを思い出すことができないのだが、この老人に可愛がられて、お茶やお菓子をご馳走になったことがある。家の中は老人が収集した骨董品であふれていて、なんとも不思議な家だったことを覚えている。老人は、おそらく鬼籍に入っていることであろう。

あれから三十有余年、旧宅のあたりを歩きながら、民謡がとても上手で毎月、東京まで師匠の先生に習いに行っているという同級生の女の子がいたことや、スポーツ用品店をしている友達の家に遊びに行くと、いつもお寿司や店屋物を出前で取ってくれたことなどを思い出した。
その後、川崎市に転居することになったので託麻原小学校から転出したが、託麻原には懐かしい思い出が多い。私にとっては「故旧忘れ得べき」の地である。

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「シャロン」閉店

2015年04月26日 | 自治体
瀬谷駅前にあった女性洋服店の「シャロン」が閉店になりました。




私が瀬谷に引っ越してきたのが四半世紀前で、そのときにはすでにお店はあったように記憶します。
中根書店も閉店になり、瀬谷駅の南口もかなり変わってきました。
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荘厳寺の源義経の位牌のこと

2015年03月22日 | 自治体
お彼岸で、老親を連れて藤沢市にある荘厳寺にお墓参りに行きました。



このお寺は真言宗ですが、もともとは白旗神社の別当寺であり、江戸時代までは寺も神社の境内にあったそうです。明治の神仏分離で、寺は神社から離れなければならなくなり、もともと墓地のあった現在地に移転し、本堂を建てたとのこと。しかし、その本堂は関東大震災で倒壊してしまい、現在の本堂はその後の建て直したものだそうです。
Wikipediaにも載っていますが、この寺の寺宝というべきものは、江戸時代のものといわれている源義経の位牌です。ときどき、歴史愛好家などから「見せてください」という依頼があるそうです。
真言宗の寺ですから本堂の中には曼荼羅などが掲げられているわけですが、源義経の位牌は、本堂正面右に祀られています。
文治5年(1189年)6月13日、鎌倉の腰越で義経の首実検が行われた後、白旗神社の付近に義経と弁慶の首級が葬られたという伝承があります。このため白旗神社の付近には、源義経首洗井戸や弁慶塚が残されており、別当寺であった荘厳寺では、源義経のために位牌も拵えたのでしょう。






もともとこの荘厳寺にある墓所は、尾澤家という祖母の実家のものですが、男子がいなかったので尾澤家は途絶えてしまいました。祖母が死去したとき、祖父がそれを受け継ぎ、墓所の敷地内に祖母のために新しく湯淺家という墓石を建てました。したがって、江戸時代のものから何基か建っている墓石は、尾澤家のもので、湯淺の墓所は別の場所にあります。



父にとっての母方の祖父、つまり尾澤家の最後の当主は、横浜大空襲で焼け出され、藤沢に疎開しました。
そのまま藤沢で終戦直前に死去し、今はここに眠っています。
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