Harumichi Yuasa's Blog

明治大学専門職大学院ガバナンス研究科(公共政策大学院)教授・湯淺墾道のウェブサイトです

『迷走する番号制度』

2017年04月03日 | 情報法
瀧口 樹良 (Kiyoshi Takiguchi)氏の『迷走する番号制度』が公刊されました。
この本の真骨頂は、マイナンバーと「世帯」との関係について論じる後半の章にあります。
マイナンバー法は一般に個人情報の保護に関する法律の特別法と解され、マイナンバー法の正式名称は「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」であって特定の個人を識別する番号に関する法制度なのですから、ここに本来は世帯という概念が入ってくることはないはずです。
ところが現実には、生活保護など多くの領域で、特定の個人だけに関する情報というよりも、世帯に属する個人の情報と一緒に使われている場面が少なくないわけです。それは、社会福祉や租税に関する「行政手続」自体、世帯の存在を所与の前提にしているので、特定の個人だけに関する情報だけでは行政手続を進めることができない、ということの反映といえます。
それならば、なぜマイナンバー自体に世帯情報を入れ込むということをしなかったのか。それには、さまざまな行政手続における世帯の概念が、制度によって異なっており、それを統一することは恐らく不可能に近いという事情があります。実際に、著者の瀧口氏も、あまりにも多数の世帯概念が散在しているために、そのすべてをフォローすることは難しかったようです。
他方で、世帯という概念は、戦前の家制度の残滓とみる見方からは廃絶すべきものであり、いたずらに家族の共助を強調する道具としても使われかねない点で批判の対象となりますが、他方で国家権力から家庭を守る防波堤として評価する見方もあるようです。「家」制度を解体した戦後の民法改正における議論を見ていると、世帯に対する評価が真っ二つに割れていることがわかります。

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ところで、学生の頃に、天皇制をめぐる顕教と密教という久野収氏の話を読んだわけですが、最近の自治体個人情報保護法制をめぐる議論にも、ちょっとそういうところがあるかもしれないという気がしてきました。
住民に関する厖大な情報を取り扱っている自治体における個人情報の保護・利活用に関する議論がすぐれて総合的かつ実務的となるのは、ある意味で当然です。顕教的な形式論一本やりでは実態・実務に即さないという批判があり、かつ密教の教義は基本的には関係者同士でしか共有できないので表の議論にはできない面があります。顕・密との間では、話が噛み合わないので、たぶん対立は収束できないでしょう。
マイナンバーの通知カードが個人ではなく、世帯ごとに送付されるということに対しても、たぶんに顕・密という側面があるように思われました。
密的な立場からすれば、前述したように行政手続自体が世帯の存在を実務上は所与の前提にしているのだから、ことさら世帯別に送付することについて目くじらを立てたところで、意味が無いわけです。実際に15条では、自己と同一の世帯に属する者は「他人」とはしない、という実態を踏まえた規定が入っているのだから、と。
他方で顕的な立場からすれば、マイナンバー法の15条にいう「世帯」規定は、民法その他の規定を踏まえたものにすぎず、行政手続における世帯の概念が制度によって異なっていることを追認したものではないのだ、と。あくまでも特定の個人を識別するための番号の利用の話なのに、なぜ世帯と結びつけようとするのか、ということになりますね。
コメント
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