檀ふみさんの「父の縁側、私の書斎」を読みました。「モダンリビング」という住宅関係の雑誌に連載されたエッセイに書き下ろしの「能古島の家」を足して単行本としてまとめられた本です。すべて家にまつわる文章で構成されています。
檀ふみさんのエッセイは何冊か読んでいますが、これはいつもと勝手が違う、毛色の違うエッセイ集でした。これまでは、元気で明るい自虐ネタ満載のケラケラ笑い飛ばせるようなもの(阿川佐和子さんとの往復エッセイ「ああ言えばこう食う」に代表されるようなもの)ばかりでしたが、この本はご自分の家、家族のことを中心とした“優しい”内容になっています。なので、ダンフミのエッセイに必ず登場するアガワはこの本には出てきません。
巻頭エッセイ「能古島の家」は、檀ふみさんのお父様、檀一雄さんが最期を過ごされたお家なんですが、そのお家から始まり、ふみさんが生まれてから出たことがない石神井のご自宅、山の家、都心の仕事部屋など、いろいろなお家が登場します。
お父様の檀一雄さんもちょくちょく登場します。私は「火宅の人」は読んでいませんが、確か、彼女のところに行ったきりほとんど自宅に戻らなかった、というお話だったように思っています。今でも、そういう人のことを「火宅の人」って言いますからね。だから、檀一雄さんって、家族団欒には全く無縁の人かと思い込んでいました。しかし、この本には、彼はこよなく家族を愛し、家を愛している人だということがここかしこに描かれており、ちょっとびっくりすると同時に、檀ふみさんの根っこの部分を少し垣間見たように思いました。
“優しい”内容と書きましたが、そこはやはり檀ふみさんのことなので、品のよい文章の中にクスッとさせる部分もあります。自宅を建て替えたときに、設計の人に「女優さんなんだから、ウォークインクローゼットを造られたらどうですか」と勧められたのに、「いえ、結構です」と断わったばかりに、ご自分のお部屋がウォークインクローゼット状態になってしまった、というお話があって、私はここが一番笑えました。私の部屋もまさしくそんな状態で、そうか、私ってウォークインクローゼットの中で寝起きしていたのね、とミョーに納得させられました。
檀ふみさんのエッセイは何冊か読んでいますが、これはいつもと勝手が違う、毛色の違うエッセイ集でした。これまでは、元気で明るい自虐ネタ満載のケラケラ笑い飛ばせるようなもの(阿川佐和子さんとの往復エッセイ「ああ言えばこう食う」に代表されるようなもの)ばかりでしたが、この本はご自分の家、家族のことを中心とした“優しい”内容になっています。なので、ダンフミのエッセイに必ず登場するアガワはこの本には出てきません。
巻頭エッセイ「能古島の家」は、檀ふみさんのお父様、檀一雄さんが最期を過ごされたお家なんですが、そのお家から始まり、ふみさんが生まれてから出たことがない石神井のご自宅、山の家、都心の仕事部屋など、いろいろなお家が登場します。
お父様の檀一雄さんもちょくちょく登場します。私は「火宅の人」は読んでいませんが、確か、彼女のところに行ったきりほとんど自宅に戻らなかった、というお話だったように思っています。今でも、そういう人のことを「火宅の人」って言いますからね。だから、檀一雄さんって、家族団欒には全く無縁の人かと思い込んでいました。しかし、この本には、彼はこよなく家族を愛し、家を愛している人だということがここかしこに描かれており、ちょっとびっくりすると同時に、檀ふみさんの根っこの部分を少し垣間見たように思いました。
“優しい”内容と書きましたが、そこはやはり檀ふみさんのことなので、品のよい文章の中にクスッとさせる部分もあります。自宅を建て替えたときに、設計の人に「女優さんなんだから、ウォークインクローゼットを造られたらどうですか」と勧められたのに、「いえ、結構です」と断わったばかりに、ご自分のお部屋がウォークインクローゼット状態になってしまった、というお話があって、私はここが一番笑えました。私の部屋もまさしくそんな状態で、そうか、私ってウォークインクローゼットの中で寝起きしていたのね、とミョーに納得させられました。