
今年は、枝雀さんの生誕70年にあたるそうで、記念の落語会がありました。今年はこの生誕○○年っていうのが多いですよね。有名どころでは、太宰治、松本清張が生誕100年(埴谷雄高、中島敦、大岡昇平も)、手塚治虫が生誕80年、バービーが生誕50年だそうで、わが枝雀さんも生誕70年で、このお仲間に入っています。
枝雀さんは、生誕70年になりますが、同時に亡くなられてからもちょうど10年になります。早いものです。そういう“節目(?)”ということもあり、全国13か所で記念の落語会が催されるそうです。8月13日が枝雀さんの本当のお誕生日で、その日からツアーが始まりました。枝雀さんの元・追っかけとしましては、これは万難を排して行かなければ!ということで(って、ちょうどお盆休みでしたが)、13日のお昼12時からの部に行ってまいりました。場所は、懐かしのサンケイホールでした。昔と随分趣が変わり、黒を基調にした“スタイリッシュ”な劇場で、落語を見るには(聞くには)、何となく違和感を感じるんですが、米朝事務所とサンケイホールとの関係を考えれば仕方ありますまい・・・。
昼の部の演目です。
桂 紅雀 「七度狐」
桂 雀松 「マキシム・ド・ぜんざい」
桂 南光 「あくびの稽古」
笑福亭松之助「軒づけ」
中入り
桂 枝雀 「道具屋」(ビデオ)
想い出語る座談会
イーデス・ハンソン
桂 ざこば
桂 南光
桂 雀松
桂 米團治
桂 紅雀
実は、私は、枝雀さんの「七回忌追善落語会」にも行っておりまして、そのイメージで出かけました。追善は、追善らしく、幕が開くと、一門のお弟子さんたちが黒紋付で並び、べかちゃんが弟子代表で挨拶をし、さらに、後に続く、落語家さんたちもマクラで、枝雀さんの思い出を語ってから、落語を一席演るというものでした(ざこばは、泣いてしまって、結局落語ができなくて、ウダウダ話だけで終わりました。それはそれで良かったけど)。
ところが、始まってみると、フツーの落語会で、マクラで枝雀さんの「し」の字も言わず、皆さん自分のネタだけをして引っ込まれます。お弟子さんは後で、座談会があるけど、松之助師匠は落語だけだったので、何か一言エピソードなんぞ、お話していただきたかったです。
紅雀さん、枝雀さんのお弟子さんの中では珍しくイケメン系でした。べかちゃんのお弟子さんのこごろうさんと何となく雰囲気が似ていました。前にも書いたかと思いますが、紅雀さんは1995年に枝雀さんに弟子入りされており、私が見ていた頃には影も形もなかった方なので、もうひとつ馴染みがありません。
雀松さん、急に老けたはりました。私の“落語の師匠”もいっしょに行っておりましたが、全く同じ感想で、雀松さんが登場するなり「老けたなぁ」とポツッとおっしゃっていました。雀松さんのネタ「マキシム・ド・ぜんざい」は、7回忌の追善興行でも演ってらして、おそらく来ているお客さんはかぶっていると思うので、それはちょっと失礼かと思いました。よく練られていて、面白い話にはなっていましたが。飴細工の皮の中にあんこが詰まったお菓子とか、きんつばを浮かべたお汁粉とか、めっちゃ甘そうだけど、甘いもの好きな私は、ちょっと挑戦してみたいと思いました。
枝雀さんは、生誕70年になりますが、同時に亡くなられてからもちょうど10年になります。早いものです。そういう“節目(?)”ということもあり、全国13か所で記念の落語会が催されるそうです。8月13日が枝雀さんの本当のお誕生日で、その日からツアーが始まりました。枝雀さんの元・追っかけとしましては、これは万難を排して行かなければ!ということで(って、ちょうどお盆休みでしたが)、13日のお昼12時からの部に行ってまいりました。場所は、懐かしのサンケイホールでした。昔と随分趣が変わり、黒を基調にした“スタイリッシュ”な劇場で、落語を見るには(聞くには)、何となく違和感を感じるんですが、米朝事務所とサンケイホールとの関係を考えれば仕方ありますまい・・・。
昼の部の演目です。
桂 紅雀 「七度狐」
桂 雀松 「マキシム・ド・ぜんざい」
桂 南光 「あくびの稽古」
笑福亭松之助「軒づけ」
中入り
桂 枝雀 「道具屋」(ビデオ)
想い出語る座談会
イーデス・ハンソン
桂 ざこば
桂 南光
桂 雀松
桂 米團治
桂 紅雀
実は、私は、枝雀さんの「七回忌追善落語会」にも行っておりまして、そのイメージで出かけました。追善は、追善らしく、幕が開くと、一門のお弟子さんたちが黒紋付で並び、べかちゃんが弟子代表で挨拶をし、さらに、後に続く、落語家さんたちもマクラで、枝雀さんの思い出を語ってから、落語を一席演るというものでした(ざこばは、泣いてしまって、結局落語ができなくて、ウダウダ話だけで終わりました。それはそれで良かったけど)。
ところが、始まってみると、フツーの落語会で、マクラで枝雀さんの「し」の字も言わず、皆さん自分のネタだけをして引っ込まれます。お弟子さんは後で、座談会があるけど、松之助師匠は落語だけだったので、何か一言エピソードなんぞ、お話していただきたかったです。
紅雀さん、枝雀さんのお弟子さんの中では珍しくイケメン系でした。べかちゃんのお弟子さんのこごろうさんと何となく雰囲気が似ていました。前にも書いたかと思いますが、紅雀さんは1995年に枝雀さんに弟子入りされており、私が見ていた頃には影も形もなかった方なので、もうひとつ馴染みがありません。
雀松さん、急に老けたはりました。私の“落語の師匠”もいっしょに行っておりましたが、全く同じ感想で、雀松さんが登場するなり「老けたなぁ」とポツッとおっしゃっていました。雀松さんのネタ「マキシム・ド・ぜんざい」は、7回忌の追善興行でも演ってらして、おそらく来ているお客さんはかぶっていると思うので、それはちょっと失礼かと思いました。よく練られていて、面白い話にはなっていましたが。飴細工の皮の中にあんこが詰まったお菓子とか、きんつばを浮かべたお汁粉とか、めっちゃ甘そうだけど、甘いもの好きな私は、ちょっと挑戦してみたいと思いました。
枝雀さんの後半は、神経質的な印象で笑いが引きつっていました。
「つほ算」の一席を 1+1=1 にからめました。
ご訪問有難うございます。
枝雀さん、本当に「爆笑王」でした。私が追っかけの真似事をしていたのは、80年代前半で、おそらく一番脂がのっていた時期だと思います。その後、離れてしまい、お亡くなりになる前のご様子は全然存じ上げず、いきなりニュースを見てびっくりしました。