おとらのブログ

観たもの、見たもの、読んだもの、食べたものについて、ウダウダ、ツラツラ、ヘラヘラ書き綴っています。

英語と日本語のあいだ

2011-06-06 22:42:17 | 読んだもの
 菅原克也さんの「日本語と英語のあいだ」を読みました。

 内容紹介と目次です。
 
「高校英語の授業は英語で」で何が起きるか。文法訳読は時代遅れか。「英語ができる」とはどういうことか。コミュニケーション英語を疑い、日本人として英語とどう向き合うか考える。
  目次
  第一章 日本語の環境で英語を学ぶこと
  第二章 英語で英語を教えることの是非
  第三章 読む力を鍛える
  第四章 英語を日本語に訳すこと
  第五章 翻訳と訳読――対応するもの・見合うもの
  第六章 英語学習とコミュニケーション能力

 ところで、皆様、平成25年から高等学校では「英語」という科目が「コミュニケーション英語」という名前になり、授業がすべて英語で行われるようになるってことご存じでしたか? 小学校にも「英語」という科目が加えられることは結構話題になって、いろいろ言われていますが、高校の「英語」の科目は誰も何も言わないので、この本を読んで初めて知りました。

 著者の菅原先生は英語教育の専門家ではなく、東京大学で学部学生に英語を教えていらっしゃる先生です。高校で英語の授業を英語で行われると、「訳読」という作業がなくなってしまい、「訳読」を訓練していない高校生が大学に上がってきたらどうなるのか、専門課程や大学院で外国語文献に当たらなければいけないのに、そういう学生を教養課程だけでどうやって「訳読」の力をつけさせるのか、すっごい危機感を持っていらっしゃいます。

 今の英語教育でも、まがりなりにも中高と6年間勉強すれば、その後もう少しがんばってみれば、英語で商談を行う、外国に駐在するレベルまでは無理でも、海外旅行に行ったときに、英語で簡単な会話ぐらいはできるようになると思います。それのどこがだめなんでしょうか。日本国民一億二千万人がみんな英語を流暢に話さないといけないものなんでしょうか。「島国だから」と書くとネガティブな印象を与えますが、「島国だから」こそみんなが英語をしゃべれなくても全く不自由なく生活できるんだから、何をそんなに「英語」に固執するんでしょうか。それよりも「日本語」を勉強しようよ。本を読もうよ。ウチの姪とか甥とか見ていても、知らないこと多すぎます。で、知らないことが恥ずかしくないんですよね。テレビなんかを見ていても、知らないことが自慢みたいで、“一億総白痴化”がますます進んでいるような気がします。

 私は何度か書いていますが、「詰め込み教育」賛成、小中高大学は大いに詰め込んだらいいと思います。詰め込みに耐えうる“柔らかい頭”があるんですから。英語の文法ってちゃんと正しく使えないと、口先だけの英語ではかえって外国にばかにされます。

 それと、菅原先生はあえて触れないようにされていましたが、今の高校の英語の先生で英語だけで授業(今のレベルを下げないで)をできる先生がどれだけいらっしゃるんでしょうか。文科省はそういうことをちゃんとリサーチしてこういう指導要領をつくったんでしょうか。“思いつき”でやっているようにしか思えないんですが。

 こういう学校の英語のことを書いていると思い出すのがDott. Cicciolinoさまでございます。予備校で英語の先生をされていたので、今の高校の英語教育についてはいろいろご存じだと思うんです。 実際のところどうなんでしょうか?とお聞きしたかったですね。Dott. Cicciolinoさまご自身が語学にご堪能で、そういうレベルになるにはどういう風に学習されたのか、そういうのも聞いてみたかったです。

 
 この本でございます。
コメント (2)
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