吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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ルート化=解脱の問題点 No539

2020-01-08 15:29:23 | 神霊界考察
昨年末にメルカリを物色していたらGoogleのAndroid機のNexus6が
信じられない格安で出品されたので出品された瞬間に即ポチ購入した。
NexusシリーズはAndroidのレファレンス機という立ち位置であり
root化が国産機より易しいという事で触って見たかったのだ。
osの公式アップグレードはVer7で終わったものの非公式の開発では
nitrogen-projectでAndroid 9 に対応している。
ネット上にもroot化について具体的記載が多いのでroot化の困難度が低い。
またとても安かったので最悪の文鎮化もそれ程には怖くない。

このAndroidのroot化等にチャレンジしながらある事に気がついた。
実はroot化は文鎮化のリスクだけでなくメーカー保証も完全に切れる事になる。
もともとこの機種の保証は切れているが新機種であっても即保証外となる。
今回市場中古価格に対して安く手に入れられたのは
出品者が間違えた金額でUPしてその瞬間に購入したという可能性もあるが
それを含めてこれを手に入れたのは霊的暗示の可能性を感じる。

いろいろと興味深い現象が立て続けに起こったのだが
もともと端末がroot化されていないのはメーカーの都合というより
素人が端末を壊すことが無いようにという配慮がある。

このNexus6を触りながら人間もroot化すると能力は拡大するけど
神霊界あるいは人類(生命体)としての保証が無くなるということを
強く感じ取らされた。

Nexus6というのは『ブレードランナー』に登場するレプリカントの
「ネクサス6型」を意味するらしい。
もともと映画の設定では植民地惑星における労働のために人間よりも
優れた強靭さと敏捷性を持つレプリカントの名称である。

原作者でもありこの映画に深くはまり込んだのは
フィリップ・K・ディックという人物で
原作は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』となっている。
『Do Androids Dream of Electric Sheep?』
原作と映画のストーリーはかなり違うということで
現在DVDと著作の両方を注文している。

原作の題名の由来はアンドロイドではないかと訝しむ自分は
電動羊ではなく本物の羊のペットをこんなにも必死に求めるものだろうか?
という意味なので
本当は『アンドロイドは羊をペットにする夢に全力を尽くすか?』
ということになろう。
ここではチューリングテストを超える
「フォークト=カンプフ感情移入度測定法」というものが出てくる。


フィリップ・K・ディックのwikiを読むと興味深いことが書かれている。
彼の神秘体験が "vesicle pisces"というシンボルペンダントを見たことにより
誘発されたというのだ。
"vesicle pisces"とは"Vesica piscis"と"ichthys ichtus"の混同だろうと
考察されている。

  
実は前回の記事『Quo vadis, Domine? 』の記載後に
『クォ・ヴァディス』を実家から引っ張り出してきて今読んでいるのだが
フィリップ・K・ディックの幻視もローマ人に迫害された紀元1世紀の
キリスト教徒の「トーマス」の人格幻視らしい。
さて私の方でも『クォ・ヴァディス』を読んでいて最初に出てくる暗示に
おぼれそうになっている。
それは主人公ウィキニウスに頭に野牛の角をつけるリギ族王家の娘のリギアが
葦の茎で砂の上に書いた魚の絵である。
恋心の告白に対しての魚の絵なのである。
それはお互いがキリスト教徒であるかの確認のための
合わせ絵である知識は私にはあるのだが
検索で"魚"から"フラワー・オブ・ライフ"と"Vesica Piscis"の目との関係を
考えていたその日の夜に全く別のNexus6の検索から
フィリップ・K・ディックの得体のしれない"Vesicle Pisces"にたどり着いたのには
何かの大きな暗示があると考えられる。
実は"Vesica"は嚢(のう)のことで "Vesicle"は小嚢(のう) =
細胞内に存在する膜で囲まれた小さい袋のことでたいした違いはない。
フィリップ・K・ディックの単語の書き間違いでないかと考えるのだが
なぜwikiにはこのどうでもよいようなたわいのない違いについて詳細を
記載しているのであろうか?

さらにwikiによるとフィリップ・K・ディックは1982年2月17日、
インタビューの仕事を終えた後に視界の不良を訴えて、
翌日脳梗塞で意識不明となっているところを発見されその後脳死が確認されたとある。
この視界の不良は脳梗塞の前兆の「一過性黒内障」のことであろうが
この『ブレードランナー』でも目が特徴的に表現されていた。


巻頭に表現される目

   

話を元に戻すがもともとこの目の神霊的な話は
『出雲で目を灌ぐ』から継続している。
あるいはもっと古く『左目に宿る神霊 No087』から続く課題と言ってもいいかもしれない。
目の神霊については『吉田一氣の信仰と祈り No464』のコメント欄でもこの目について
課題となっているがまだ回答出来ていない。
熾盛光如来 一字金輪仏頂尊 少彦名神 天目一箇命 等等
導き出されるのは解脱に至る心眼の導きだと思うのだが......

※参考までに 以前話題となった「つげ義春」の目の看板


この時見つけたつげ義春の別の作品"チーコ"
 
こうやって不用意に子供を殺す親がいます。ほぼ故意と言っても良いでしょうか?

「フォークト=カンプフ感情移入度測定法」では動物虐待等での感情の違和感を
目のマイクロジェスチャーの反応速度から判断することが描かれている。
亀をひっくり返してそのまま助けない。
パーティで茹でた犬が出てくる。
蜘蛛の足は8本必要ないかもしれないのでとりあえず爪切りで4本切ってみる。
レプリカントはそれに対して感情が薄く反応が遅れる。

この件に関してはシンクロが起こったのか今嫁がamazonプライムで
ドラマ「サイレント・ヴォイス 行動心理捜査官・楯岡絵麻」を観ている。
このドラマではマイクロジェスチャーとなだめ行動の観察で真実を読み解く。

ルート化=解脱の問題点は解脱において人間としての感情を超えることが
実は大問題なのかもしれない。
動じない心は揺るぎないものではあるが
「臨済録」には「仏に逢うでは仏を殺し、祖に逢うては祖を殺せ」とあるし
「南泉斬猫」という公案もある。
そうやって悟りを得て解脱して最終的に涅槃に入れれば申し分ないのだが
解脱しても神通力を具足しなければ涅槃には入れないのだろうと推察する。
涅槃に入ったものを如来といい菩薩はその修業過程にあるが
菩薩レベルでも六大神通力を具足している。
感情を持たずに慈悲の心を持つ仏を導き出したのは
釈迦の特別な願いからであろうが
神の手の中から飛び出すことは保証外の行為ということなのであろう。

アンドロイドの場合はルート化できたと思って立ち上げ直していて
二度と立ち上がらなくなる文鎮化問題がある。
人が夢の中で自己の意識を自覚し「明晰夢」とするのはそれほど困難ではない。
問題はレム睡眠中の夢はコントロール出来てもノンレム睡眠中は難しいことにある。
体内時計へのアクセスもノンレム睡眠中はしていないように思える。
ノンレム睡眠中も原始的な夢を見ているらしいが記憶回路とのアクセスも弱い。
人は死んで意識を消失するのとノンレム睡眠とは似た関係にあると考える。
ノンレム睡眠が続く深昏睡状態は死に等しい。
解脱においては自ら瞑想死して意識を消失した後に魂が切り離されない内に
無の状態から自力で意識を取り戻す神通力を具足しないと涅槃に至らない。
そこが神霊ガイドが存在しない自力ルート化=自力解脱= 尸解の困難さということなろう。

ルート化(解脱= 尸解)したからといって神通力を具足することは出来ない。
つまり解脱と神通力は別ものということを諭されたので
すでに解脱に対する興味はかなり薄れている。


追記
第3回熊本ミネラルマルシェに1月11日に出向いてきた。
昨年はラピスラズリ原石とかオパールとか自作数珠用の"ルドラクシャ"とかを購入したのだけど
今年は長年探し求めていた特別な天珠を手に入れることが出来た。

この天珠は魅力が理解できる方はごく少数だとは思いますが
ご期待に応えてUPしますね。
中央の黒目部分も縁の隈取りも焼き付けたものでは無く
裏側にも削ると出て来る色で自然の色です。
眼でいうところの虹彩がピンクに煌めくのがとても不思議です。

 





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コメント (58)
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