吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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熊本霊ライン祭祀10年を経て No360

2013-10-20 21:30:45 | 神霊界考察
先日『加藤清正が作り上げた熊本霊ライン詳細図と東山魁夷のゑびす No316』の記事で
熊本霊ラインのことを少し取り上げたが
熊本霊ライン祭祀を主管して10年が経つ。
熊本霊ラインは西の端だが、今年は東の端まで出かけて自分なりに祭祀を執り行った。
熊本のこの霊ラインはもともとは縄文祭祀であり
夏至の日の太陽の日の出ラインであった。
それを8世紀に道君首名公が土木技術により奈良方向に修正している。
さらに加藤清正公が京都方向に再修正したものだ。
詳細を知りたい方は
『熊本霊ラインHP』を参照していただきたい。

国土地理院の地図を眺めて改めてぴったり直線なのに驚かされている。
さてこの直線の東の端であるが
ざっと作成したgoogle地図では福島県いわき市あたりとなる。

福島第一原子力発電所とは50km程度の距離だ。
当然ながら西の端にもその影響は出る。

今年東の端のいわき市の湯本の温泉神社に参拝した際に温泉にはいったが
その時に少彦名神の縁で長い苦悩と懸念の答えが出た。

自分が毎日祈る熊本霊ラインの東端で不幸にして原発事故が起こったが
それは自分にとって「我々人類は再び神の火に手を出したのか?」という問いかけとなった。

神の火を盗み出して人類に与えたのはプロメテウスである。
プロメテウスの火とはまさに原子力などの
人間の力では制御できないほど強大でリスクの大きい科学技術の暗喩となっている。

ちょうどプロメテウスの火で検索した際に
リドリー・スコット監督の映画『プロメテウス』が近々公開されることを知ったのも
何か不思議な気持ちにさせた。

一般論からいえば広島・長崎の原爆被害に合せて
今回の原発被害の大きさを考えると
世界で最も核分裂による放射能被害を受けた国と言えるのではないかと思う。
それ故に日本の原子力に関する国民の反応は世界に大きな影響をもたらす。
日本で原発のメルトダウンが起きた事実は重い。

そして政府や東電の隠ぺい体質に驚かされたが
それは逆に情報伝達社会として成熟していない日本では
隠ぺいせざる得ないということも感じ取れた。
例えばそれは今まで稼働してきた九州の原子力発電までが
停止していることでわかる。
九州電力の原子力発電所は佐賀と鹿児島にある。
平成生まれの最先端の原子力発電システムも2基ある。
外国の事故では停止させなかった発電システムを
国内の事故では停止させることになった背景には
実は潜在的にかなり危険なシステムであったのか、
今回の事故は最も古いアメリカ製の原発の事故であり
他はとりあえず安全なのに
日本人に原発アレルギーが出来たかのどちらかであろう。
自分としては今更ながらのストレステストや活断層調査には
意味を見出していない。
さらに民主党政権下で今後一律に寿命(耐用年数)を
40年と決めようとしたことは論理的思考が破たんしているように思える。
確かに今の原発は40年が耐用年数だとしても
50年持つ原発の開発が出来ないという根拠は希薄だ。
ただGE炉をもっと早くに停止させるべきであったという反省はあって然るべきだ。

安全神話に頼り、あるいは安全神話崩壊後は原発アレルギーを発症して
今後再び事故が再発するとヒステリックになることは
どちらも科学的理性とはいえないと自分には感じられるが
いずれにせよ決断の必要がある。

信仰生活を送る自分としてはそういう人間側の論理とは別に
人間に原子力がコントロールできるのか、
それとも原子力発電は禁断のプロメテウスの火であるのかの
あちら側からの警告も気になるところである。

偶然の不幸の連鎖が四重五重に起これば一万年取り返しのつかない
未曾有の大災害の引き金となることは周知の事実である。

しかし同時に未曾有の大災害や人類の滅亡リスクランクでいえば
もっと高いリスクが存在しているということも事実である。
原発の問題は選択を迫られているということに尽きる。
代替案があるようにみえるということが苦しみの原因だ。

少し余談となるが
エネルギー問題の解決方法としての自然エネルギーの有効利用というものを
あまり信用していない。
まず風力発電だが建ててメンテナンスして廃棄してみれば分かるが
意外とコストが掛かるのに風任せだ。
太陽電池は夜は役立たない。
その対策の大型蓄電池の開発はめどが立たない。
あるいは砂漠の太陽光発電も高温超伝導の開発が遅延している。
その上自分としては宮崎での太陽光パネル上の火山灰事件で
潜在的リスクを目の当たりにしてしまった。
鹿児島には太陽光パネルの洗浄サービスがあるがもちろん無料ではない。
太陽光発電は今年ドイツを抜いて世界一になったが
コストは電気代に上乗せの上に
パネル価格も効率も限界に近いようだし
とてもエネルギー政策の柱とはなり得ない。
潮流システムとか小型水力発電装置しかり。
メタンハイドレードもシェールガス革命の前で影が薄い。
どうせ夢であるなら核融合発電があるが
これも危険性はトリチウム 中性子問題等で未知数ともいえる。
ただ霊ラインの東の端側となる茨城県那珂市に
日本原子力研究開発機構の那珂核融合研究所があって
そこでJT-60が組み立てられ
それがJT-60SAへと改造されようとしていることは
特筆すべきであろう。
これがいわゆる『トカマク』である。

自分が幼いころは今と違ってたいしてエネルギーを必要としない時代だった。
マイカーなど夢のまた夢だった。
従って生活の範囲は歩いて行けるおおよそ半径一里四方だった。
この時代の特徴は小さなお店が生活の基盤としてあり
安売りの大型店が機能しないということだ。
八百屋・魚屋・肉屋・酒屋・電気屋・雑貨屋・駄菓子屋
畳屋・障子屋・銭湯・理髪店などが
適当なところにあった。
もちろん駅前には商店街があるとしても
家族経営の商店は散在していた。
人々は個々の商品の店ごとの価格差というよりも
のれんを信頼して購入していた。
総じてのんびりとしていてつつましやかにちゃぶ台を出して食事をし
片づけると同じ場所に蚊帳を広げて寝るような生活だった。
まあたいていの家に焚き風呂はあったが銭湯も賑わっていた。
五右衛門風呂も多くて板を沈めてその上に乗らないと
足をやけどするような構造だった。
この時代の特徴はお金が庶民の間を回転するので
安売りでなく妥当価格での売買がみんなの懐を温めていたということだ。
それぞれがそれぞれのお客さんであり
相手の利益がめぐり回ってくるという互助的なつながりがあった。
廃棄物といったって燃えるものは風呂の焚き木となるし
残飯はネギ、玉ねぎにらっきょとか唐辛子等を分けて溜めていて
それを養豚業者が回収に来ていた。
金物は廃品回収業者が引き取っていた。
牛乳瓶、一升瓶、ビール瓶など使いまわしだ。
酒屋でははかり酒売りしていたし
あるいは自分ところで瓶を洗ってそれに酒を入れて
ラベルを貼って栓をして売っていた。
掛売りも多かった。
知恵と信頼で結ばれた社会だったといえる。
私は古き良き時代の話をしているのではない。
個人消費エネルギーの総量減少手段の話をしているのだ。
個人消費エネルギーの総量減少はやり方を間違えると
富んで奪うものと貧しく奪われる者との二極化を生み
社会から調和を奪い去ることになってしまう。
個人商店等小さな働き口を復活させずにエネルギー価格が高騰していくと
大企業のお金の吸収率が高くお金の回転率が低いままということで
お金は偏在し職業需要は減少し貧富の差は激しくなり
低福祉社会へと落ち込んでいくことになる。

エネルギー問題は簡単でなく
社会構造を根底から覆す威力を持っているのだ。
中国は原発推進国であるが
英国政府は中国企業が国内の原子力発電プロジェクトの
支配株式を取得することを認めたようだ。
経済の低迷に苦しむ英国が中国の資金を頼りにしたということだが
今からはさらに原発利権国と最近のアメリカのように石油利権国に分かれると思われる。
その中で日本はこのままでいけば
オリンピック開催と引き換えに原発放棄宣言をして
安全と平和をアピールすることになると思う。
ただしエネルギー覇権の再びの敗者ということになる可能性が高い。
まるで年金暮らしのおじいさんが子供にお金をせびられるようなものだ。
このままではゴリオ爺さんの末路でしかない。


なぜ地震・津波・原発事故が連鎖したのか?
日本人はみんなが苦しんでいるがその苦しみが礎となり
新しい発展と結びつくには、
どう行動しどう祈りどう願うべきか......
それぞれの人にそれぞれの思いがあるのだろうが、
自分なりの答えを得る事が大切だ。

私の場合少彦名神の神縁による啓示を第一のものとして信仰するが、
その啓示はまだ公開を許されていないようだ。
ここでもたもたと記事を書いているうちに記事がトラブルでいつものように消されるか
あるいは許可されると思っていたがそのどちらの反応というか感触がない。
もうしばらく待っていただきたいと思う。

ゆえに記載途中
コメント (9)
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