吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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加藤清正が作り上げた熊本霊ライン詳細図と東山魁夷のゑびす No316

2012-05-22 23:15:24 | 神霊界考察
前回の記事の付録として熊本霊ライン詳細図を添付する。
3600×2200のサイズなので実寸表示で確認していただきたい。
引いたラインがそれぞれの山頂をほぼ正確に通過しているが
これを偶然だと考えることは出来ない。
夏至のラインよりほんの少し北にずれているが
それぞれの山頂の盛り土で加工できるレベルである。
この加工が出来たのは平安以降では清正だけである。
なぜこんな加工をしたのかは筆者HPに記載しているので
そちらを参考にしていただきたい。
http://reyline.web.fc2.com/P3/P3.htm


『熊本霊ライン詳細図』


熊本城内の本丸を通過している。
本丸に登城すると分かる人は分かる仕組みだ。


例えば 東山魁夷という日本画家がいる。
東山魁夷 熊本城でググっていただければ記事が幾つか出るが
天守閣跡から見た肥後平野の景色が魁夷の運命を変えている。
熊本城で感応した故に画家の道を目指したのだ。
東山魁夷の「風景との対話」(新潮選書)には、
焼け跡の整理で熊本城天守閣跡に登城した帰途に心が高ぶったことが書かれている。
「私は酔ったような気持ちで走っていた。
魂を震撼させられた者の陶酔とでもいうべきものであろうか。
つい、さっき、私は見たのだ。輝く生命の姿を」
「なぜ、今日、私は涙が落ちそうになるほど感動したのだろう。
なぜ、あんなにも空が遠く澄んで、連なる山並みが落ち着いた威厳に充ち、
平野の緑は生き生きと輝き、森の樹々が充実したたたずまいを示したのだろう。
今まで旅から旅をしてきたのに、こんなにも美しい風景を見たであろうか。」

しかし彼の霊的感受性は確実に道君首名公が工夫した神秘までも
捕らえていたことをお伝えしたい。
この感動ゆえに画家になることを決意した彼の
雅号の魁夷が意味するのは「夷=えびすのさきがけ」であるが
この熊本霊ラインには少彦名神がゑびす神として
祭祀されてきた経緯があるからだ。

熊本城まわりで今に残るえびす神社を参考までに報告したい。
実はこれらの社の創建の歴史はほとんど不明であるし
移設されている可能性もある。
ただ偶然かおおよそ直線状に並んでいる。



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