吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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熊本霊ライン基点の御坊山の鯰と阿蘇国造神社の鯰 No361

2013-10-26 22:30:21 | 神霊界考察
自分が熊本霊ライン祭祀を主宰するに至った経緯は複雑な絡みがあるが
元を辿ると40年前まで健軍神社の裏にあった小さな祠での神秘体験に行き着く。
それは小さな丘の頂上付近に有って、
右手が竹やぶで左に民家が数件ならぶ狭い道を登っていくと
そこにその小さな神社が存在していた。
昼でも薄暗く祠の前には裸電球が灯っていた。
ここは小学校の帰りに時々通る道だったが、
ある学友などはとても怖がっていた。
20年後にその祠のような神社を探したが全く場所が分からなくなっていた。
ところが健軍神社内の摂社の道君首名公を祀る天社神社に参拝した際に
再び神秘体験をしてこの神社の前身があの祠のような神社がではないかと直感した。
その後の聞き取り調査でその予感は当たっていることが分かったが
その祠があった場所は健軍神社の真裏で天神山と呼ばれ
道君首名公と少彦名神が祀られていたことが判明した。
健軍神社は普賢岳祭祀のために社殿の向きや長い参道は普賢岳に向かっているが
天神山の祠である天社神社と健軍神社とその参道と普賢岳の関係はレイライン構造となっている。
  
上記図の青丸が旧天社神社位置
中央写真は健軍神社の鳥居の間から見える普賢岳
参道の長さは1.3kmの直線

この健軍神社の参道は八丁馬場と呼ばれ加藤清正公によるレイライン結界と考えられる。
しかし裏山の天神山の天社神社までが直線に並ぶということは
もともと道君首名公由来のレイライン結界の可能性も考えられる。


さて御坊山を基点とする熊本霊ラインのほうであるが
この道君首名公がもともと夏至の日の出ラインだったいわゆるレイラインを
結界としての熊本霊ラインの構築に造り替えている。
こちらは中央構造線のエネルギーも加わり日本の脊梁たる規模となっている。

ところで前段で神秘体験といったが
なぜ自分に感応があったのか最初理解できていなかったが
そのことについては興味深い経緯があったので記載したい。
今から10年ほど前になるが高齢の父が急に本家の墓参りをしたいと言い出し
自分は初めて阿蘇の手野の古城にある本家の墓参りに同行した。
代々阿蘇国造神社を守り続けた一族で墓も神社から遠くない場所にあるのだが
驚いたことに初代の墓は慶長元年 (西暦1596年)となっていた。
  
慶長元年 (西暦1596年) 春雲院殿義山盛幸 大禅定門
市原山城守墓-阿蘇家市原城主 市原宇治姓 盛幸
      行年六拾四歳市原源正 父


この阿蘇の国造神社と熊本霊ライン基点の御坊山とは鯰の縁で繋がっている。
国造神社境内には鯰社があり阿蘇の大鯰が祀られている。
また御坊山の小島阿蘇神社には阿蘇大明神が祀られているが、
洪水のときおみこしを運んできたのがナマズとされ、
ここの地域の人はナマズを食べない。
それで加藤清正構築の熊本霊ラインは国造神社より北に数百メートルずれるのだが
もともとの夏至の日の出ラインはどこを通過しているか調べてみた。

①まず御坊山の小島阿蘇神社の緯度経度を確認する。

②御坊山の夏至の日の出角度を『日の出日の入り計算 - 高精度計算サイト』で確認する。
ここでの夏至の日の出角度は61.08度であることが分かる。


③googleアースソフトのツールの定規で御坊山から61.08度の夏至のレイラインを引く。

④この御坊山基点の夏至のレイラインと阿蘇の国造神社の位置関係を確認する。

写真中の赤い線がgoogleアース地図に引かれた御坊山から見た夏至の日の出の線で
国造神社の写真の下の三角部分の先が国造神社の位置となる。
つまりもともとの熊本の御坊山を基点とするレイラインは
阿蘇の国造神社の上を通過していたことが分かる。

どうも御坊山基点の夏至のレイラインが阿蘇の国造神社に向かっていることは
レイラインの祭祀上重要な意味を持つようで
国造神社に自分の先祖が縁のあることから私に白羽の矢が立ったものと思われる。
それは自分が小学生の時の天社神社での神秘体験から続き
現在熊本の西区に住み熊本霊ラインの祭祀をするところまで
神霊界においてはその時から織り込み済みだったという訳なのだろう。

さて鯰に話を戻すが
この鯰を信仰する人たちにはルーツがありそうである。
その情報はネット検索でも興味深い話が出てくる。
このブログでは鯰については『西の国宝 瓢鮎図 No239』
『鹿島の封印はもはや風前の灯 No330』で記事にしている。
たぶん他の魚は鰻にしろ鯉にしろ記載した覚えがないので特別な存在ということになる。
佐賀に嬉野という温泉街があり、そこに豊玉姫神社があるのだがここにはなまずが祭られている。
この地の伝承によるとなまずは豊玉姫の眷属らしい。
豊玉姫は一般には海底の龍宮や龍神や海人族と繋がるはずであり
川にすむ鯰との繋がりは希薄なはずだが、どうしても繋がりが気になっている。
ところで長崎の対馬に豊玉姫を祭る海神神社がある。

海神としてはこの長崎対馬の豊玉姫、福岡の住吉神、福岡志賀島の安曇磯良、
宗像の道主貴の三女神が知られるが、
ほぼ全ての祭祀に神宮皇后が関与している。
従って龍宮の謎は神宮皇后を含めての調査の相互関係の中から
何らかのヒントが得られるはずだと考えているがまだ確信にでは至っていない。
霊的感応から言えば神宮皇后の足跡は九州北部を中心としているが
豊玉姫は宮崎での感応が強い。
これがどういうことを意味しているのか課題となっている。








記載途中

コメント (13)
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