吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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水に流すということ No286

2011-08-02 03:18:07 | 神霊界考察
キリスト教徒が「赦し」という言葉を使うが
日本人の「水に流す」という表現とは実は全く違う。
キリスト教ではもともと人類全てが
原罪という大きな罪を背負っていると考えて
その罪の贖罪をキリストが皆になり代わって
十字架に磔になることでしたと考えている。
聖書中の姦淫の女を裁けるのも
罪を犯したことのない者ということになるが
人類は全て原罪があるので
従って本質的には罪を罰するのは神様のみということになり
それ故に「赦し」が求められている。
また神の人間に対する「愛」であるアガペーを
信仰者も持ちたいと願い
それが「赦し」の本質的な礎となっている。
それはそれで立派なことではあるが
その出来事の記憶は消える訳ではなく
まるで烙印のごとく周囲にも本人にも残る。
契約の書には記憶までも消しなさいとは
記されていないからだ。
それで赦しを与えた人は、赦しても残る憎しみに対して
忘却の努力をするか
いつまでも赦しを与えたんだと言い続けることになる。
たいていはリメンバーという叫びがこだましている。

日本人の「水に流す」という言葉は
神霊に接する際の水での禊に由来する。
これは罪穢れを水で清めることなのだが
禊では罪穢れを祓いそこには小さな生まれ変わりがある。
それゆえに「水に流す」とは
その記憶すらも消し去ることとなる。
生まれ変わり罪が無かったことにまで遡るのが
「水に流す」という言葉の重さである。
日本人にはこの「水に流す」という美徳が備わっている。
くれぐれも歴史を忘れやすい民族ではなくて
水に流す民族であるということを
取り違えないで欲しいと願っている。


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コメント (2)
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