吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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自然の摂理と釈迦の絶望 No108

2010-02-27 20:59:12 | 日記
御仏の心というものは、
自然界の調和を願うものと釈迦は想定したかったのだろう。
しかし現実世界においての弱肉強食の世界は
残虐さと殺戮に覆われている。
インドのガンジーが非暴力、不服従という民衆運動を展開したが、
この世の三千世界においては
植物は非暴力を貫こうとしており鉱物は非暴力、不服従である。
しかしながら人間を含も動物世界はそうとはいかない。

以前ミツバチを襲うスズメバチの動画を見たが一匹のスズメバチが
何匹ものミツバチを殺戮していた。
よりによって同属系統のハチでなくても良さそうなものだが
ハチはハチ同士、人は人同士の戦いが
より感情的にエキサイトするというものが神の摂理なのだろう。
これは進化における秘密なのだろうと思っている。
殺戮も広義において生命を補完しあっている訳だが
より高度な進化は、同属の魂によって為されるのかもしれない。
そういう意味においてハチは昆虫世界の中では
進化した存在となっているように思う。

しかしながらこのシステムは仏陀から言わせれば
無慈悲な世界創生だということだ。
地球の創生は幾度も失敗し繰り返されているようだが
この何度か目の現世も結末に寛恕と調和が生まれるとは思えない。
食物連鎖の中で無数の恐怖と苦痛とがうごめいているのが
この世の現実である。
そこの釈迦の絶望が見える。

仏教とは人間釈迦の神霊界に対する暴力不服従運動のようなものだ。
しかし人類にとって一抹の灯明となっているのも事実である。

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コメント
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