吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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教育勅語と熊本 No103

2010-02-09 00:13:10 | 日記
1890年10月30日に発布された教育勅語は、山縣有朋内閣のもとで起草されている。
この教育勅語の作成に関わった人物に
内閣法制局長官の井上毅と明治天皇側近の儒学者である元田永孚がいる。
・井上毅(いのうえ こわし)1843/02/06生
・元田永孚(もとだ ながさね)1818/10/30生
実はこの2人共に熊本生まれで熊本藩校の時習館出身である。
時習館出身といえば横井小楠や濟々黌を創った佐々友房がいる。
明治維新の表舞台では熊本出身者の活躍が少ないが
思想的には先覚的であり非常に進んでいたともいえる。
特に、先駆者として第一に挙げられる林櫻園という人物が原道館という
私塾を創っているが、その思想背景は非常に深い。
・林櫻園(はやし おうえん)1798年生-1870年没
博覧強記で国学,神道,儒学,仏典,天文,地理,医学など
あらゆる学問に通じていたと云われている。
この原道館では佐々友房や宮部鼎蔵が学んでいる。
横井小楠は儒学者であるがこの林櫻園は国学者であり
思想的に対立しているようにも見えるが
横井小楠は林櫻園の門下である。
林櫻園を師と仰ぐということでは吉田松陰も門人といえよう。
この林櫻園は桜山神社の資料館の資料によると
まさに天才といっていいほどの博学者だったようだ。
この天才は霊的感応も強かったようで
『昇天秘説』『宇気比考』などの著書がある。

この林櫻園の崇敬社となっている神社に
熊本市内田町の新開大神宮と山崎菅原神社がある。
特に山崎菅原神社には日参していたということでる。
実はこの山崎菅原神社の祭神はもともと道君首名公祭祀の
少彦名神大國主命だと思われるが
菊池家初代と云われる藤原則隆が祭神を菅原道真に
祀り替えていると判断している。
これは玉名の高瀬天満宮も同様だと思っている。
初代国司の道君首名公は日置氏と縁が深かったようであるが
藤原則隆は日置氏を滅ぼしておりそれ故に日置氏がらみの
神社の祭神を替えたものと思われる。
ということは菊池川だけでなく白川も
古くは日置氏の支配下にあったのかもしれない。
もともとの場所は白川のほとり南領森本の天神社となる。
霊的な感応を強く受ける場所となっているので
心ある人は注意深く気に留めていただきたい。

林櫻園の神霊的背景にはいくつかの複雑な霊的問題が絡んでいる。
そしてその林櫻園に傾倒した門人たちにより神風連の乱へと繋がるが、
ここに熊本の先覚的神霊的思想の発露と閉塞が如実に現れている。






コメント
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