yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

フラ・アンジェリコの「受胎告知」は右にマリアとガブリエル、左にアダムとエヴァを描きイエスの系譜を暗示

2016年01月08日 | 旅行

2016.1.8   スペインを行く10 2015年ツアー+1994年ツアー「プラド美術館 アンジェリコ「受胎告知」 ボッス「七つの大罪と四終」「快楽の園」 ブリューゲル「死の勝利」 「ティツィアーノ「ミュールベルクの皇帝カール5世」 テッセン・ボルネミッサ美術館」 /2015.12記
 プラド美術館の見学の続き。前回も述べたが、1994年ツアーでは写真撮影ができたが、2015年ツアーでは撮影禁止になっていた。1994年ツアーではゴヤの扉から入館したが、2015年ツアーでは増築後のヘロニモの扉から入館した。20年の差を感じる。

 受胎告知は実に多くの画家が取り上げている。フラ・アンジェリコの「受胎告知」は1426年ごろの作で、横が3分割され、右側の2分割が明るい色調で描かれたマリアと大天使ガブリエル、左が暗い色調で楽園を追放されるアダムとエヴァが描かれている。アダムとエヴァを描いた受胎告知は少ない。アダムとエヴァ→旧約聖書→イエス→新約聖書とイエスの系譜を暗示させている。

 ボッスについてはあまり知らなかった。スペイン支配下のネーデルラント生まれで、フェリペ2世がボッスの絵を気に入ったそうだ。「七つの大罪と四終」は四角いテーブル用に描かれたそうで、中ほどの大円が7等分され、キリスト教における七つの大罪=憤怒、嫉妬、貪欲、大食、怠惰、淫欲、傲慢を表す絵が描かれ、四隅の小円に死、最後の審判、天国、地獄が描かれている。
 スペインは敬虔なカトリックの国であり、フェリペ2世もこの絵を見て、自分の行いを反省したのかも知れない。

 ブリューゲルはハプスブルク領のフランドル地方の生まれで、アントウェルペン(=アントワープ)の聖ルカ組合に所属し、「死の勝利」は1562年に描かれた。このころペストが大流行して、大勢が死んだ。貴賤を問わず、誰も死から逃げることはできない、悔い改め、信仰心を厚くせよといったメッセージだろうか。右手から骸骨の大軍が押し寄せ、左手の人間を次々と死に追いつめていく絵だが、陰鬱さは感じられない。

 おおよそ2時間、プラド美術館の名作を鑑賞したあと、館内のカフェでランチを取った。ビュッフェスタイルで、ガラスケースに入った料理を指さし、「ウナ ペルソナ」=一人分と言うと皿に盛りつけてくれる。食べやすく、量もほどほど、値段も手ごろだった。

 午後は自由時間である。添乗員はスペイン・マラガの大学に留学していて、スペイン語ペラペラのスペイン通だったので、添乗員おすすめコースについていくことにした。最初は、通りの向かい側のテッセン・ボルネミッサ美術館の見学。内容は次回に。

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1995年講演「まちづくりと環境」=建築は環境の内なる存在/私たちも環境を作っている一員である

2016年01月06日 | studywork

2016.1.6 1995年 建築士会杉戸支部講演 「まちづくりと環境」 /1995.10記
 いまから20年も前の1995年、建築士会杉戸支部の依頼で講演をした。骨子は、住民主体のまちづくり、環境共生のまちづくりである。住民主体も環境共生もいまや話題にならないほど一般化したが、20年前はまだ端緒といったところで、日ごろのまちづくり活動や各地の調査結果を踏まえ、スライドを用いて解説したところ、有意義だった、参考になったなどのほめ言葉を頂いた・・自画自賛?・・。
 20年も経ち、すでに一般化した内容だが、自分の活動を振り返るつもりでレジメを再録した。
1 町・つくる・環境、三つのキーワード
1a 町とは大きな家族/町は一定の制限はあったものの自治が認められた一区切りの社会単位だった

1b 作り手も使い手も主役は住民/自分たちが住む町を自分たちが考え、自分たちが改善案を作成し、自分たちが事業化する

1c 建築は環境の内なる存在/私たちも環境を作っている一員であることを再認識しなくてはならない

2 環境と共生する町づくり
2a 社会環境/
建物のしつらえもすべて一様である必要はない。オモテにはオモテの表現を、ワキにはワキの表現、ウラにはウラの表現があってよい

2b 自然環境/まず地形を読め、地形の性質に従い、自然をもって自然を制す。緑を増やせ、食べ物、花、多様な緑、鳥が集まり、潤いが生まれる

2c 歴史環境/町の歴史、人の記憶が刻印されたストックを掘り起こし、手を加え、現代に活用したい。もし、新たに建物を計画しデザインするときには町民の刻印を記したい。
時代が変わるたび町民の刻印を記していき、新しい町の歴史を作ればよい。
つまり、新しい計画とは次の時代への歴史を作ることである
 以上が大筋である。

 なーんだ、こんなことは常識じゃないのとか、時代遅れ、現代社会には間尺があわないよ、と思われる方はご容赦を。

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新春、オペラシティでウィンナ・ワルツやラデッキー行進曲を聴き、新宿夜景を眺めがらディナー

2016年01月04日 | よしなしごと

2016.1.4 ウィンナー・ワルツ・オーケストラを聴き、新宿夜景を眺める
 元旦に、ウィーン楽友協会グローサーザールホールで開催される恒例のニューイヤーコンサートをテレビで見た?聴いた?。
 2003年にウィーンを訪ねたとき、わずか2日の滞在だったので、ウィーン楽友協会ホールは見ていない。
 今春はじっくりオーストリアを旅しようかと考えていて、その予習を兼ねて、ニューイヤーコンサートを聴いた。
 演奏は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で、指揮はマリス・ヤンソンスだった。マリス・ヤンソンスが愛嬌たっぷりの指揮をするたびに、聴衆から喝采が飛んで、立ち見もある大観衆は大喜びの雰囲気だった。
 私はテレビだから、ホールで聴くコンサートの感動には及びもつかないが、テレビであるが故に、指揮者や演奏者、聴衆のクロースアップがあったり、解説が入ったり、なによりソファーでお酒を傾けながら気楽に聴け、それなりに楽しんだ。
 最後は、ラデッキー行進曲で終わるのも常のようだ。

 正月に、ニューイヤーコンサートのためにウィーンに行くほどのゆとりはないので、代わりに、昨日3日に、東京オペラシティで開かれたウィーナー・ワルツ・オーケストラの宮殿祝賀コンサートに出かけた。(客席での写真撮影は禁止だったが、けっこう撮っている人がいた。この写真はインターネット転載
指揮はイタリアのサンドロ・クトゥレーロだった。
 このコンサートに気づくのがちょっと遅かったのでいい席がなくなっていたので、最後尾31列をインターネットでとった。舞台まで遠いが、ほぼ舞台正面だから音質もよし、演奏やバレーも楽しめた。
 プログラムは、第1部 喜歌劇「美しいガラティア」序曲、トリッチ・トラッチ・ポルカ、映画「山猫」より、くちづけ、ワルツ「天体の音楽」、ポルカ「憂いもなく」、ピチカート・ポルカ、皇帝円舞曲、
 休憩は20分あったが、2階のバーは長蛇の列でワインをあきらめ、
 第2部は、ワルツ「ドナウ川の物語」、ワルツ「我が人生は愛と喜び」、ロシア行進曲、ワルツ「愛と春」、紙やすり、喜歌劇「小鳥売り」、歌劇「騎士パンズマン」より、ワルツ「美しく青くドナウ」を楽しんだ。
 ??、ラデッキー行進曲がない??、不思議がりながら拍手をしていたら、なんとアンコールがラデッキー行進曲だった。この曲はヨハン・シュトラウス1世が、1848年、ラデッキー将軍を称えて作曲した行進曲で、馴染みがあるし、軽快なテンポは元気づけてくれる。新春にぴったりの曲だと思う。
 サンドロ・クトゥレーロも愛嬌があり、サービス精神に富んでいて、舞台を右に左に飛び回ったり、最前列の聴衆を舞台に上げて指揮を任せたり、大いに楽しめた。

 帰りは新宿でディナーを取ろうと店を探したが、三が日で休んでいるところが多い。
 インターネットで眺めのいい店を探し、高島屋14階の京都美先・新宿店を見つけた。
 窓側の席の正面にスカイツリー、右手に東京タワー、左に最近できたマンションのイルミネーションが夜空を彩っていた。
 コース料理は、本日のおばんざい4種、刺身 二点盛、真鯛と湯葉の天麩羅 京野菜添え、国産牛ステーキに、白ご飯 お椀 漬物 佃煮、 本日のデザートで、料金も手ごろだった。
 美先のオリジナル酒「純米大吟醸 美先」がおすすめというのでいただいた。コクと香りがしっかりした酒で、料理に合う。京都伏見の山本本家の醸造で、ちょっとお高め。三が日だし、夜景付きだし、たまにはいいね。

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エル・グレコの絵は、人体が引き伸ばされ、うねるように描かれるマニエリスムが特徴である

2016年01月02日 | 旅行

2016.1.2  頌春
 初日の出はもやがかかっていたのか、ぼんやりした輝きだったが、それでも東の空をぐんぐんと上る日の出は元気を与えてくれる。
 西の富士は見事な勇姿で初日の出を受け、神々しさを感じさせる。
 皆さまも健やかな1年になりますように。

スペインを行く9 2015年ツアー+1994年ツアー プラド美術館 エル・グレコ「受胎告知」「羊飼いたちの礼拝」 ルーベンス「龍を退治するゲオルギウス」「三美神」 /2015.12記
 エル・グレコはギリシャ・クレタ島の生まれである。
 クレタ島はかつてビザンティン帝国領であり、ギリシャ正教を信仰していた。ギリシャ正教の聖堂は、モザイク画やフレスコ画の宗教画で埋め尽くされていた。
 エル・グレコのころはヴェネツィア共和国の支配下だったが、島民はギリシャ正教を信仰していたから、エル・グレコも聖堂でビザンティン美術を身につけたようだ。
 20才のころ画家としてヴェネツィアに移り、ギリシャ人の意味のグレコと呼ばれるようになる。ティツィアーノのもとで修業したそうだ。
 30才のころローマに移るが、あまり評価は高くなかったらしい。そのころのスペインはカルロス1世=神聖ローマ皇帝カール5世の治世下で大いに栄えていた。グレコは、鳴かず飛ばずのイタリアをあきらめスペインで認めてもらおうと考え、マドリッドに移る。以来、スペイン語の冠詞がついてエル・グレコと呼ばれる。
 マドリッドでフェリペ2世の肖像画を描くが採用されず、トレドに移る。ところがトレドではエル・グレコの絵が評判になり、次々と依頼が来た。
 プラド美術館には「受胎告知」や「羊飼いたちの礼拝」などの名作が展示されている・・多くの名作はトレドに残されていて、私たちのツアーは5日目にトレドを見学する・・。
 エル・グレコの最大の特徴は、マニエリスムと呼ばれる、人体寸法が引き伸ばされ、個性的な描写で描かれる手法にある。
 受胎告知でも羊飼いたちの礼拝でも、登場人物は縦に伸ばされ、うねるような姿態で描かれ、原色が用いられ、明暗の対比が強調されている。
 エル・グレコの独特の世界観、宗教観の表れとされる。

 ベラスケスに影響を与えたルーベンスの絵も展示されている。その一つが「三美神」だが、3人とも豊満な裸体で描かれている。
 ルーベンスは50代半ばに奥さんが亡くなり、16才年下の女性と再婚するが、この女性がふくよかだったそうで、三美神などのモデルになったらしい。豊満な三美神は親しみを感じさせる。 

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