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アーヴィング著「アルハンブラ物語」は壮麗な宮殿の描写+モーロ人の伝説が興味深い

2016年01月26日 | 斜読

2016.1.26  book408 アルハンブラ物語 上下 W.アーヴィング 岩波文庫 1997 /2015.12読
 スペイン・グラナダのアルハンブラ宮殿は、1994年のスペインツアーでも、2015年のスペインツアーでも訪ねた。世界中から観光客が絶えない魅力は何か?。
 711年、地中海を渡ってイベリア半島に上陸したイスラム教徒はマラガ、グラナダを始めとするイベリア半島南岸の都市を次々と征服し、やがてイベリア半島全土を支配下に置いた。
 イスラム教徒であるモーロ人(スペイン語)=ムーア人(英語)は、カトリック教徒との共存を図りながら、優れた建築技術で宮殿や寺院や館や庭園を作っていった。
 一方、カトリック教徒たちはレコンキスタ=国土回復の戦いで、イベリア半島の北の方から、少しずつ国土を回復していく。
 14世紀に入り、イスラム教徒のナスル朝がグラナダを都とし、壮麗なアルハンブラ宮殿を築く。
 1492年、イスラム教徒最後の都グラナダは、カスティーリャ+アラゴン連合国によって奪回され、レコンキスタが終了する。
 カスティーリャ+アラゴン連合王国はやがてスペイン王国として統一され、ハプスブルク家のカール5世がカルロス1世としてスペイン王になり、アルハンブラ宮殿内にカルロス5世宮殿をつくるが、やがて、スペイン王は都をマドリッドに移し、アルハンブラ宮殿は忘れられていく。・・・たぶん放置による損壊もあっただろうが、見捨てられたことにより、モーロ人=ムーア人の壮麗な建築の原形が保たれた。

 アーヴィングは1783年にニューヨークに生まれた。弁護士となり文筆活動も始める。イギリスにいた貿易商の兄を助けるためイギリスに向かうが、兄が倒産、家計を助けるためイギリスに滞在して文筆活動に専念する。
 早くからスペインに関心があったようで、スペイン語を習得し、スペインの歴史書にも精通していたらしい。
 アメリカ外交官のメンバーとしてヨーロッパ各地を周り、スペインにはおよそ4年も滞在した。
 1829年、グラナダを訪ね、総督に表敬訪問したとき、アルハンブラ宮殿の滞在をすすめられ、帰国までの1年近く宮殿に住み、アルハンブラ宮殿の魅力、グラナダの人々の考えや行動、モーロ人にかかわる伝承をまとめ、アルハンブラ物語として出版した。
 たぶん、この本がきっかけでアルハンブラ宮殿が改めて見直されたようだ。
 アーヴィングの筆さばき、スケッチも素晴らしいし、宮殿の描写やモーロ人の伝説、グラナダ人の考えのどれも興味深い。 
 

コメント
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